バイデン大統領 民主主義と専制主義の闘い
バイデン大統領就任初の記者会見で最大の外交課題中国について、習近平国家主席は民主主義は機能せず専制主義が潮流だと捉えているとし、衝突は望んでいないが厳しい競争になる。”中国は国際社会のルールにのっとり公平な競争や貿易をしなければならない”と表現「民主主義と専制主義の闘いだ」と位置づけ中国との競争を制することに力を注ぐと大統領は強調しました。
中国と向き合うために、国内の労働者や科学分野への投資を通じて最先端技術の強化、日本など同盟国との関係の再構築と自由・人権という価値観の追及を実行すると表明。
~2021年3月26日 バイデン大統領の就任後初の記者への所信表明 NHK報道記事 ~ 抜粋
中國重要会議(6中総会)で歴史決議を採択
中國共産党建国100周年の節目の年、習近平主席率いる共産党の重要会議(6中総会 11/8 ~11日)で習近平を称賛する歴史決議が採択され、来年秋の全人代において3期目を続ける道が決定づけられたと報じています。
2012年就任来習近平が成し遂げた功績をたたえ、建国の父毛沢東、改革開放の鄧小平、歴史決議の習近平を称賛する重要決定が行われました。
声明「全党全軍全民族人民が、習近平同志を核心とする党中央の周囲により強く団結しよう」習氏は2022年秋の党大会以降も3期目の最高指導者の地位に留まる姿勢を示した。
専制主義を貫く習近平の歴史決議に厳しい目
習近平の業績(2012年~10年)をたたえる歴史決議を採択した中国共産党、習近平一党支配の正当性を貫く権威主義を国内外に示す6中総会(11/8~11/11)で重要決議が採択されました。2022年秋の全人代大会に向けて政策主張を固めていきます。
一方で自由主義国からの厳しい目が注がれ、国内的にも諸問題を解決していく必然性が問われ続けます。
~内外から厳しい対応を迫られている問題の一部~
- 汚職撲滅運動 汚職や権力の乱用で揺らぐ中国の政権
- 欧州に向かって、世界を制覇を目指す一帯一路構想の野望
- AIIB(アジアインフラ投資銀行)は発展途上国に対する資金支援
習近平思想の実現 歴史決議
汚職や権力の乱用で揺らぐ中国の政権
毛沢東は1958年~農工業の増産運動「大躍進政策」によって農業生産が激減、全国で大飢饉に陥る失敗により、主席の座を劉少奇に奪われた。疲弊する社会を憂い、自らの復権をかけた究極の共産主義運動を実践した「文化大革命1966~1976)」は中国の悲惨な10年を生みました。毛主席死後責任は四人組の死刑によって清算され、身分が復権した鄧小平が指導者となり改革開放を掲げ一部地域を経済特区とし資本主義を取り入れ外国資本を導入、今の中国の発展の基礎を作り上げました。しかし、一党支配が続く中国の成長の過程で「汚職や権力の乱用による腐敗」が起こり、成長と合わせ貧富の格差が広がり続けました。上海閥の江沢民派、共産党青年同盟の胡錦涛派を経て、中国太子派(中国高級幹部子弟)の一人習近平が2012年主席に就任し、習近平思想の実現に向けた新たな中国社会を目指しました。就任以来徹底した汚職撲滅運動を展開、政敵を処罰し、国内の締め付けを強化し習近平体制を強化してきました。
世界を制覇を目指す一帯一路・AIIB構想の野望
紀元(2000年前)を迎えた頃、絹の都中国とユーラシアの草原地帯を利用して繫栄するエジプト文明・ローマ王朝の交易のルートとなりシルクロード(中国の絹織物)ヨーロッパの金ロード(黄金の道)として繁栄しました。1800年代産業革命による蒸気船で海のルートも出来上がりました。欧米の侵略が始まり、東南アジアの国々は次々に植民地化されました。中国の清国も沿岸部はヨーロッパの国々に侵略され、アヘン戦争で香港が英国統治となり、独・仏なども沿岸部に街を築きました。台湾も明治期の日清戦争(1895年)~第二次世界大戦(1945年)まで50年間、日本の統治下にありました。
成長著しい中国の習近平主席は世界を制覇する野望をもって国内で徹底した汚職撲滅運動、中国経済と支配拡大構想「一帯一路・AIIBアジア投資銀行」を掲げ21世紀の世界制覇の野望に突き進みました。
習近平思想を推し進める中国の野望と課題
躍進する中国で発生した新型コロナウイルス
2020年1月20日 習近平中国武漢市で「新型コロナウイルスの蔓延で都市封鎖」の発表の衝撃的なニュースが世界を駆け巡りました。中国の暦正月「春節」控え、14億人の人民大移動が一部始まっていました。感染は一帯一路の陸路イラン・イタリアに感染が拡がり世界の混乱が始まりました。2か月後日本も感染の脅威から守る大規模な緊急事態宣言を発出しました。習近平中国は徹底した監視体制の下で徹底した都市封鎖を実行し、10日間で大規模仮説病院を建設し一党支配の強権的な指導の下徹底した抑え込みを行いました。個人の意思を尊重する西欧の自由主義国家との違いを見せつけることになりました。一党支配に疑念を持っていた人々を徹底して抑え込みました。