江戸時代の豪商淀屋の地、大阪復活の開発地
淀屋は江戸時代に大坂で繁栄を極めた豪商で、総資産20億両(現在の価値で200兆円)。全国の米相場の基準となる米市を開き、商都大阪発展に寄与した豪商(淀屋)の地です。米以外にも様々な事業を手掛け甚大な財産を築き、武家社会に大きな影響力をもって徳川幕府から目をつけられ財産没収の処分を受けた。淀屋は幕末になり討幕運動に身を投じ、ほとんどの財産を自ら朝廷に献上して幕を閉じた。
江戸・明治期は土佐堀川~中之島に木製の橋。1911年(明治43年)巾12間の鋼板桁橋(画像)が架けられ翌年大阪市電堺筋線が開通した。現在の淀屋橋は第7代大阪市長関一(都市計画学者)が提唱した御堂筋拡幅工事、地下鉄工事敷設され1935年(昭和10年)、幅44mの御堂筋、地下鉄御堂筋線、淀屋橋・大江橋が、鉄筋コンクリート造りアーチ橋で橋長53.5m、幅員36.5m(20間)土佐堀川に架かり、大江橋(堂島川)も同年完成した。
大阪の「都市大改造」の主事業御堂筋の拡幅工事
1873年(明治6年)静岡県伊豆生まれ、一橋大学卒業後、大蔵省勤務を経て教職の道を歩み、新潟市立商業学校で23歳の若さで教諭と校長を兼任。高いレベルの商業学校を求めてベルギーへ留学し、帰国後は交通論や商業政策の講義を大学生に行っていました。大阪の第6代市長池上四郎が「助役には学識を持った人物」として関は受け入れ助役に就任しました。1923年(大正12年)市長に就任し、池上市長の政策をさらに発展させた「都市大改造計画」を打ち出しました。計画のメイン事業は「御堂筋の拡幅工事」であった。地下鉄の御堂筋線も同時に着工とてつもない大事業を成し遂げました。 資料 大阪市 HP など
当時、巨大事業計画を実行に移した市長の行政力と大阪市民の協力が「飛行場の滑走路」と言われた御堂筋が出現し、今でも商都大阪のメイン道路となり、大阪市営地下鉄(現メトロ)の大動脈であり続けています。商いの街船場地域を有する「本町」界隈は繊維商社を中心に、住友財閥の拠点は淀屋橋に商都大阪の中心地として近年まで続いてきました。平成のバブル崩壊以降、東京一極集中が加速し、御堂筋界隈の日本を代表する企業の本社機能が東京に移り、衰退がはじまりました。本町にあった主要企業の商い拠点も京都、神戸に直結する「梅田」に移っています。京阪沿線の大阪の玄関口「淀屋橋」は衰退していました。
大阪の商いの基点淀屋橋の再開発 着工
大阪は御堂筋の復活を目指し、基点の淀屋橋東西にツインタワー構想を立案し、再開発着工に漕ぎつけました。東棟 22.07【2025年竣工予定】
- 日本土地建物・京阪ホールディングス
- 敷地面積は3,940.82m2。地上31階、地下3階建て、高さ149.21m、延床面積は72823.77m2の規模です。
- 新ビルは、高規格オフィス、淀屋橋駅と直結する地下部分(地下1階〜2階)に商業施設。
- 4層吹き抜けの多目的広場(淀屋橋広場)、淀屋橋駅コンコース歩行者空間の拡幅ターミナル
西棟 22.11 【2025年竣工予定】
- 大和ハウス工業・住友商事・関電不動産開発
- 敷地面積 7,206.23㎡。地上29階、地下2階建て、高さ134.99m、延床面積132,331.56㎡
- 新ビルは御堂筋の上質なにぎわいを創出する商業機能を導入。事務所、飲食店、物販店舗、サービス店舗他
日本生命淀屋橋ビル新築(建替え)【2022年竣工予定】
- 日本生命
- 地上25階 高さ123m 延べ床面積51500㎡、基準階貸付面積 1570㎡(470坪) 賃貸オフイスビル
- 淀屋橋駅 地下直結
本年、東棟横に日本生命淀屋橋ビル新築(建替え)竣工予定、3年先に完成します。淀屋橋再開発の始まりです。