省エネ~地球温暖化~排出ガスゼロの道

1973年秋、第4次中東戦争でアラブ石油輸出国機構(OAPEC)の石油戦略により、石油価格が高騰し、世界経済に大きな衝撃を与えました。 第一次オイルショックで先進工業国の燃料・原材料不足をもたらし、生産が低下し急激な物価上昇を招きました。原油価格はアラブ 産油国(OAPEC)で決められることになりました。

高度経済成長期に起こったオイルショック

1973年(47年前)高度経済成長期に起こった、原油高騰(オイルショック)で大きな社会経済の混乱を招きました。日本の消費者物価が20%上昇(狂乱物価)を招き、1970年の大阪万博成功の3年後に起こった戦後最大の試練になりました。戦後復興、高度経済成長の社会・経済に大きなブレーキとなりました。

団塊の世代が結婚し、団塊2世が生まれる頃の大きな社会現象で、トイレットペーパーが市場からなくなり、石油火力発電に頼っていた電力需給がひっ迫し、街のネオンが消され、深夜番組の廃止など緊急対策が発動されました。石油に依存していた日本は大きな試練を受け、エネルギー政策の転換を迫られました。1979年(第二次オイルショック)によってさらに厳しい選択が待ち受けていました。資源を輸入に頼る日本は技術を駆使して省資源、省エネルギーの転換を図りました。