大阪を代表する歓楽街は難波道頓堀、北は堂島北新地界隈と言われます。大阪のコテコテの歓楽街は新世界・ジャンジャン横丁で、明治期に内国勧業博覧会のシンボル塔として初代通天閣が建設されされました。戦争で焼野原となった大阪の戦後復興(戦後10年 昭和31年)の象徴として第2代通天閣が再建されました。1970年に大阪万博が吹田千里丘陵で開催され、太陽の塔がシンボルになりました。大阪を象徴する通天閣は、近くの日本一高いアベノハルカス・天王寺動物園など周辺の整備で、国内外の観光客も沢山集まり活気を取り戻しています。
今コロナ過で飲食街を中心とした街は活気をなくしていますが、コロナの危険信号を(赤・黄・青)で府民に知らす役目を担っています。大阪の息遣いがここから始まります。