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大阪湾の歴史 河内湖と上町台地

2025大阪・関西万博の会場「夢洲」の大阪湾

大阪湾埋め立て開発地「夢洲」は国際イベント開催の悲願が漸くかなった「2025大阪・関西万国博覧会」決定(2018年11月24日)の瞬間です。高度成長期に大阪湾に広がった埋め立て事業がバブル崩壊後に大きな負の遺産として残されました。2001年大阪市は2008年のオリンピック誘致に立候補、アジアで北京が過半数を獲得決定、大阪は招致レース6票の惨敗でした。平成不況の中で大阪の衰退がどんどん加速し、2005年愛知万博開催が決まっている中、第3の都市中部にも追い越される厳しい状況にありました。観光都市京都・奈良・神戸をバックに玄関都市大阪はアジアの拠点、関西国際空港を有し観光立国・都市の歩みを進めLCC専用の第2滑走路を増強し、アジアからの観光客の受け入れに成功、活気を取り戻し”大阪復権”が始まりました。2019年にはG20の首脳が集う国際会議開催で「大阪」が世界に印しました。しかし、2020年1月~”新型コロナウイルス”の世界蔓延によって観光客がゼロの厳しい環境が続きました。

河内平野は上町台地と「河内湖」の歴史があった!

負の遺産であった夢洲が大阪発展の起爆剤となる洲に変身します。3年後の2025年の大阪・関西万博に会場となる”夢洲”の整備・開発と世界の多くの国、企業、自治体、各団体が賛同しパビリオン建設を実施します。此れから3年、夢洲を目指して建設ラッシュが続き、未来を予測する多くのパビリオンが披露されます。大阪の発展は豊臣秀吉が築城した「大阪城」が上町台地に建立されたことで知られています。古く遡れば古墳時代(3世紀中旬~7世紀)に大和王朝が確立され、5世紀ごろ応仁天皇・仁徳天皇・・は上町台地の難波宮に祭りごとの拠点としたことが記されています。古事記や日本書紀を紐解くと大阪湾の奥に河内湾が存在し、断層帯上町台地の先端(現在の大阪城付近)に一級河川淀川・南から大和川が大量の水を注ぎ、河内湾~「河内湖」が存在したと記されています。歴史は瀬戸内・大阪湾・河内湖・淀川、大和川の一級河川と多くの支流によって造られていました。

 ~地元河内の人も「河内湖」の存在は余り知られていないようです。~

大和王朝の時代 難波宮で祭りごと

古墳時代大和王朝は上町台地で祭(政)りごと

仁徳天皇(第15代)4世紀末~5世紀初めに難波高津に都を移し、淀川・大和川から河内湖に流れる水の被害を守るため河内平野の大規模な治水工事を指示したと言われています。

応神天皇(15代)・仁徳天皇(16代)・履中天皇(17代)の天皇陵は広大な前方後円墳で百舌鳥・古市古墳群(世界遺産)に指定されています。を代表しています。