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百舌鳥・古市古墳群 世界遺産に

来年のユネスコ世界遺産委員会で登録が決定されます。決定に先立っての入れなかった仁徳天皇陵に宮内庁と地元学芸員を交えて保存管理などの準備のために入ることが許されました。2018.10.15 記事

世界文化遺産を大阪に 百舌鳥・古市古墳群

平成18年 大阪府・堺市・羽曳野市・藤井寺市が共同で国に提案

平成23年 百舌鳥・古市古墳群世界文化遺産登録推進本部会議設立

平成29年 国の文化審議会文化遺産特別委員会 国の決定機関

     世界文化遺産の推薦候補と決定 平成25年~28年見送り

平成30年 ICOMOS(イコモス)による審査・現地調査

平成31年 ユネスコ世界遺産委員会で登録決定

 

日本の3世紀半ば~7世紀末にかけて古墳時代があります。古墳時代に統治していた大和の国の祭祀は大阪の上町台地上町台地のあたりで行っていたことが日本書紀などで記されています。古市の応神天皇陵(15代天皇 270~310年)、百舌鳥の仁徳天皇陵(16代天皇 313~399年)など当時の天皇及び皇后などの墓が100基(現存44基)堺・羽曳野・藤井寺等に現在も残されています。仁徳天皇陵は486mの前方後円墳でピラミッドや秦の始皇帝の墓よりも大きく世界一の面積です。

この歴史的遺産を世界文化遺産として残し後世に引き継いでいく使命があります。 

日本の歴史書は700年の「古事記」「日本書紀」が古墳時代末期に記され、古墳時代から飛鳥時代、奈良時代へと移っていたことがわかっています。しかし、縄文時代、弥生時代のことは明確になっていません。弥生時代は倭の国として中国の歴史書(三国志の魏志倭人伝等)に記されています。

歴史書では倭の国に100を数える勢力があったと記され、2世紀に邪馬台国の女帝卑弥呼が統治しているとあります。邪馬台国の後の100年近く倭の国の歴史が中国でも途絶えていてわかっていません。

仁徳天皇はその当時の天皇で大阪で祭りごとを行っていたことがわかっています。

邪馬台国は大和説か北九州説か明確な答えが出ていません。