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大阪城は豊臣秀吉が築城!

大阪城は豊臣秀吉が築城!
大阪の石山本願寺が浄土真宗の総本山となっており、一向宗と呼ばれた本願寺の伽藍は城郭にも匹敵する規模であり、周辺に形成された寺内町を中心に大きく発展した。織田信長と戦った石山合戦で滅びる。
大阪は1598年豊臣秀吉が築城した大坂城が歴史的な建物になっています。港湾に恵まれ”日本の台所”と言われる商業の街として栄え、江戸時代に始まり明治政府から近年まで経済の中心都市大阪として繁栄しました。

古墳~飛鳥~奈良時代の祭りごと

古墳時代に天皇の祭りごとは大坂上町台地で

紀元前700年初代神武天皇(神話・伝説上の人)が、奈良明日香(橿原)で行政(祭りごと)の始まりと日本書紀で記されています。

1600年前仁徳天皇(崩御西暦427年)は大阪上町台地の難波高津宮で祭りごとを行っていたされ、後の天皇も今の大阪城付近(難波宮跡公園)で行政を行っていたことがわかっています。

1300年前奈良平城京に遷都するまで、天皇の祭りごとの中心は大阪にありました。

百舌鳥・古市古墳群を世界文化遺産に

仁徳天皇の崩御が西暦427年で、大阪堺市百舌鳥に世界最大の墓があります。百舌鳥・古市古墳群は古墳・飛鳥時代の歴代の天皇の墓があります。お札の聖徳太子・厩戸皇子は、飛鳥時代の皇族・政治家。622年没、叡福寺北古墳(大阪太子町)に埋葬されています。大阪は古墳・飛鳥時代の行政(祭りごと)の中心地でした。

大阪は大阪湾と淀川を利用した海運の要衝

大阪は瀬戸内海の東にあり上町台地から西側は大阪湾に面した湿地帯であったと言われています。難波、住吉、堺、尼崎などが海上の要衝として栄え、淀川を使って国の都京都と船の往来で物資と人を運び栄えました

港湾に恵まれ”日本の台所”と言われる商業の街として栄え、経済の中心都市大阪として繁栄してきました。

大坂→大阪の文字の変化
大坂→大阪の名称は上町断層の坂から呼ばれるようになったと言われています。土にかえる文字が縁起が悪いとされ、江戸時代はどちらも使い、明治以降は大阪を使っています。