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日本の安倍首相辞任 速報が世界へ

日本経済の復活・地球儀を俯瞰する外交

第二次安倍政権 日本経済の復活

2009年民主党による政権交代によって下野していた自民党が公明党と組んで野田民主党政権解散総選挙に臨み勝利して第二次安倍政権が誕生しました。小泉純一郎首相任期退陣後、第一次安倍政権から6代一年限りの短期政権が続き、社会・経済が疲弊し、世界の信頼もなくしていました。

第一次安倍内閣を一年で辞任した若き安倍氏は5年間の学びと健康に自信を経て再び首相の座に着きました。就任6か月後(2013年6月)にまとめ上げたアベノミクス「三本の矢」をもって経済再生を実行に移しました。日銀と一体となって異次元の金融緩和を行いデフレからの脱却を目指しました。改革は少しづつ目を出し、80円近い円高→125円まで円安となり輸出が活発化することで企業経済が活発化し株価も上昇を続けました。成長を続けた経済政策がコロナ禍でGDPが大きく落ち込んでいます。政府はコロナと共存して2021年度中(2022年3月末)に復活させると経済再生大臣が表現しています。

コロナ感染拡大で大きく後退

2020年1月の中国武漢市の新型コロナウイルスが習近平主席によって発表され感染は世界にパンデミックを起こし世界の社会経済は大パニックを起こしています。100年前スペイン風邪の拡大、1929年の世界恐慌以上の危機が襲っています。完成予防の行動を自粛すれば経済が止まり厳しい対応が今も続いています。コロナ禍において日本経済も大きな衝撃を受け厳しい対応が求められています。混乱期の一国の総理の判断を誤ってはいけないと考え、持病が再発した安倍首相は辞任することを決断しました。(会見から)政権与党の自民党から新たな自民党総裁を選び開催される臨時国会において首班指名が行われ新首相が誕生します。9月中旬ごろの予定です。新首相が決まるまで安倍首相が継続して行います。

アベノミクス計画が狂ったコロナ

異次元の金融緩和とデフレからの脱却を掲げた安倍政権は2014年秋の評価で

  • 円高修正(円安)株価の急上昇
  • 景気回復・業績改善・雇用改善
  • 金融面で超緩和政策継続に問題
  • 財政の支出拡大による効果限定
  • 政策において整理されていない
  • 第3の矢の未着手と財政の改善
  • 日本経済の構造的変革の実現

問題が山積する中での新型コロナウイルスによるパンデミックは大きな支障となってしまいました。しかし災害国家日本は一致団結してコロナ禍を乗り切るには、信頼する首班指名が問われます。

第二次安倍内閣 歴代最長(7年8カ月)

政界のサラブレッドとして生まれ育った安倍晋三は

祖父岸伸介が1960年に日米間で締結された二国間の安全保障条約でアメリカ軍の駐留・日米地位協定が結ばれ、学生を中心に安保反対闘争が起こりました。1972年義叔父の佐藤栄作首相が安保条約延長と沖縄返還論に反対する野党(社会党・共産党・一部左翼運動)を押さえ沖縄返還を実現する。3年の神戸製鋼でサラリーマン生活を経て父安倍晋太郎外務大臣の秘書となり、晋太郎急死を受け選挙に出馬政界入りをしました。山口県は明治維新を成し遂げた薩長同盟の長州藩で吉田松陰の松下村塾で高杉晋作・初代総理大臣伊藤博文など多くの志士たちが学び、開国・明治維新を遂行し、日本の政界を主導してきました。150年過ぎた今も脈々と受け継がれています。8月28日安倍晋三首相は歴代最長を記録(7年8カ月)して辞任表明しました。歴代首相の最長4人(安倍晋三・桂太郎・佐藤栄作・伊藤博文)はすべて旧長州藩(毛利藩・山口県)です。

第一次安倍内閣”美しい日本”を掲げて(2006年)

第一次安倍内閣発足(2006年9月)から6年続けて一年内閣(安倍ー福田ー麻生ー鳩山ー菅-野田)が続き、途中で民主党に政権交代する政局の混乱が続きました。日本・世界でも信頼が得られない厳しい状況が続きました。6年間でリーマンショック(2008年9月世界規模の金融破綻)東日本大震災(2011年3月11日東北沖で起こった巨大地震・巨大津波・福島原発爆発事故)によって、政治・経済が大混乱の中で、小泉政権で持ち直した平成不況が再燃する厳しい環境が続いていました。2007年一年で潰瘍性大腸炎で投げ出した安倍さんは開発された薬が効き、2012年再度総理を目指しました。

日本の大きな転換期を迎えた

在任最長(7年8カ月)を締めくくった安倍晋三首相に感謝を述べるとともに、次期総理を目指す首相候補は、日本国の将来を見据えた取り組みを行っていただきたい。会見を締めくくりました。