ノーベル賞 真鍋叔郎 地球温暖化の素を解く

50年前に地球温暖化を予測した真鍋叔郎氏

10月5日、日本人28人目のノーベル賞授賞の報道に驚きました。世界が最大の懸念となっている「地球温暖化」の素を50年前に日本人の研究者真鍋氏が予見していたことが評価され受賞となりました。

日本では1997年の京都議定書(COP3)で気候変動の重要性を認識し、先進国の責任として「温室効果ガス排出削減」に具体的な数値で開始しました。

50年前に日本人のアメリカ在住の物理学者が当時のコンピューターでシュミレーションして解き明かしていました。地球温暖化のメカニズムを説いた真鍋氏にノーベル賞が授与されることがスエーデンアカデミーから発表されました。

真鍋氏が開発した気候モデル

真鍋氏は50年前「二酸化炭素が増えれば地球の気温が上昇し、地球温暖化につながる」ことを世界に先駆けて発表した成果がもとで「地球温暖化や気候変動研究」世界で進みました。真鍋氏は日本の戦後復興から高度成長へ切り替わる時に研究拠点を米国に移し研究に没頭して「気候モデル」を当時のコンピューターでプログラム形成した先駆者になります。現在のスーパーコンピューターを駆使した気候予測の素となり、世界が基礎研究をもとに「気候変動予測」を行っています。真鍋氏は二酸化炭素の増加は気温上昇につながることを予測していました。しかし、世界は成長の過程で大量の化石燃料を利用しCO2の排出量を増やし続けました。当時の研究開発が今生きていることに驚きを覚えます。

日本は高度成長に大量の二酸化炭素排出

日本は戦後復興の軽工業から重工業への転換期を迎え、戦後10数年の日本の零弱な企業では重工業への転換が厳しく、国策として石油コンビナートを形成し、1956年(昭和31年)川崎市、四日市市、岩国市、新居浜市の4か所にコンビナート建設が決定され動き出しました。中核企業に日本石油化学、三菱油化、三井石油化学工業、住友化学工業が中核企業

として巨大な設備投資を担うため旧財閥がかかわったとみられます。エチレンプラントと言われ原油国では自動的に作られるエチレンを日本では精製してつくる。

高度成長を支えた石油コンビナートが「公害」に発展し日本の成長の汚点として残されました。

大阪では泉北臨海工業団地が形成され、ベッドタウンも泉北丘陵に造成され発展しました。同時に「光化学スモッグ」などの公害に悩まされました。すべては高度成長~公害~地球温暖化に繋がっています。

地球温暖化に貢献する塗料

地球温暖化に貢献する塗料の開発

1997年第3回気候変動枠組条約締約国会議が日本の京都国際会議場で開かれ、先進国が主導して削減目標数値と年度を約束する条約を締結しました。日本は6%の削減目標に署名しました。しかし、その後新興国の成長過程で中国などの排出量が増え続け、議論を重ねて世界の国が一致して排出削減に向かう2015年パリ協定が結ばれました。

京都議定書締結後、「地球温暖化に塗料で貢献」できないか開発に着手、2002年塗装の表面温度を下げる塗料「熱交換塗料」が白を基調とした反射塗料、遮熱塗料と異なる二つの物質からなるハイブリッド塗料として完成しました。10年かけて足でPR活動を続け、報道番組で取り上げられ、東日本大震災による電力不足の中で認知が広がり、中国・韓国など東南アジア圏に広がりを見せています。カタログにも掲載している地球温暖化、都心のヒートアイランド現象に貢献する塗料として広がり続けます。 夜も休みなく25℃まで温度を下げ続ける夢の塗料です。

世界規模で広がる地球温暖化に貢献する素材として多くの人の力で広がりを期待しています。ノーベル賞受賞で大きな勇気を頂きました。 一般住宅、工場、店舗、歩道、駐車場、などの温度軽減によって夏場の気温環境を変え、クーラーなどの温度設定を下げて電気消費量を減らすことが地球温暖化に貢献します。