近畿大学医学部・病院移転 2025年秋 ⑥

泉北ニュータウン50年、泉ケ丘地区活性化

1972年 泉北ニュータウン泉ヶ丘地区の風景

半世紀前、大阪万博(1970年)が開かれた頃、日本第二の経済都市大阪の千里ニュータウンに続いて高度成長の象徴として泉北ニュータウンが堺市の丘陵地に開かれました。57年前、泉ヶ丘地区開業に併せ、南海電鉄高野線の分岐延長戦として中百舌鳥~泉北高速鉄道が大阪府の開発鉄道として運行が始まりました。泉ヶ丘地区の商業施設の中心に高島屋百貨店が開業し鉄道ターミナル駅として生まれました。堺市の市民プール、府営住宅(5階建て40棟)を始め、ヤングタウン(独身者用のマンション)雇用促進住宅など高度成長の通勤都市18万人を目標に開拓が始まり、活気に満ちた街が次々と出来ました。

50年前、泉ヶ丘駅バスターミナルのカッポーギの主婦
50年前、泉ヶ丘駅バスターミナルのカッポーギの主婦

バブル経済崩壊を境に衰退の始まり

1970年大阪国際万国博覧会(大阪万博)開催の翌年、開発中の泉北ニュータウンの新駅(泉ヶ丘)が開通しました。

泉北高速鉄道の延伸と駅開業

・中百舌鳥~泉ヶ丘  1971年4月

・泉ヶ丘~栂・美木多 1973年12月

・栂・美木多~光明池 1977年8月

・光明池~和泉中央  1995年

泉北ニュータウン 1965年(戦後20年)に大阪府の事業計画決定 1967年宮山台地区のまちびらき実施、泉ヶ丘地区~光明池地区まで18万人のニュータウン計画がでスタートしました。

令和4年(2022年)近大病院移転工事開始

市民プール 府営住宅 田園公園 解体整地 2022年6月 
市民プール 府営住宅 田園公園 解体整地 2022年6月 

2022年6月本格工事開始~2年の進捗

57年前(1967年・昭和42年)泉北ニュウータウンの開発の中心地・泉ヶ丘地区・入居が始まり、泉北高速鉄道の開通(1971年泉ヶ丘駅開業)~50年、高島屋百貨店が開業、千里に続いて泉北ニュータウンが始動、発展を遂げてきました。高度成長の中で発展を遂げたニュータウンも50年を経過し高齢化とバブル崩壊、経済の低迷、平成不況、都心回帰の波の中で衰退の波が押し寄せています。最後の開発地、和泉中央駅地域が新たな発展地域として活気ある成長を遂げています。50年を経過した泉ヶ丘地区は老朽化の最初の波の中で新たな発展が求められ、近畿大学医学部・大学病院の移転計画が新たな一歩として大きく変わろうとしています。~2025年11月近畿大学病院開院予定~