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G7広島サミット閉幕 核なき世界へ

G7広島サミット会議、議長国岸田首相

1975年第1回フランスサミット6カ国、カナダ・ECは不参加でフランスのデイスカールデスタン大統領の発案で始まりました。1973年の第4次中東戦争によるオイルショックに混乱による影響を先進国で議論することでが始まりました。76年からカナダが参加、日本は当時田中角栄の次の三木首相時代になります。カナダはトルドー首相(現在のトルドー首相の父)になります。当時はEUの前のEC時代の参加。議長国は持ち回りで、日本は東京迎賓館×2度、沖縄、洞爺湖、伊勢志摩、広島で6度目の議長国になります。1991年ロシアゴルバチョフ特別参加、1997年~ロシアエリツイン・プーチン・メドベージェフ・プーチンがG8として参加。2014年ロシアがウクライナクリミア半島併合の暴挙からG8メンバーから除外される。

G7国+グローバルサウス国の拡大会合

グローバル化した世界191カ国のG7が占める世界の経済比率43.7%で以外の国の数値が上昇しています。現在中国は世界2位、インド・ブラジル・豪州・ベトナム・インドネシアなどグローバルサウス呼ばれる重要な国々の意見も集約し、戦火にあるウクライナゼレンスキー大統領も参加した合同会議を開き打開策を議論しました。現在G20(現在インドのモデイ首相が座長で、G7の議長国岸田首相と綿密に調整しています。3月にモデイ首相をインドに訪問し、インド→秘密裏にチャーター機でウクライナ訪問。

岸田首相はウクライナでゼレンスキー大統領招待

岸田首相は秘密裏にインド~チャーター機でウクライナへ直行(隣国ポーランド)してゼレンスキー大統領を電撃訪問、G7広島サミットへ招待しました。

ウクライナは戦時下の重要な時期にフランスの専用機でサウジアラビア~日本へ直行しました。ウクライナ~8000㌔の遠い国へ危険を押してやってきました。ウクライナは此れからロシアへの反転攻勢をかける時で、不足する武器支援と参加国の理解を得る最大の機会と捉え日本に足を運び入れました。ゼレンスキー大統領は原爆資料館を訪れ、78年前の廃墟となった広島をウクライナの廃墟となった街の復興を描き、日本への協力を描きました。ブラジルのルラ大統領はロシア・中国寄りと言われ、G7の議事決定に批判的でゼレンスキーとの対談もしなかった。国連の常任理事国拡大を主張している。