死者6400人・負傷者4万人・被害家屋25万棟
人的被害だけで想像を絶する光景が浮かびます。家屋・社屋・高速道路・鉄道・一般道の倒壊や損傷による混乱と遮断は災害の対応に大きな支障となりました。家屋の倒壊地域に起こった圧死や火災の救助が遅れ多くの被害者を生みました。惨状は想像を絶する光景となったことを思い起こします。大阪からの救援は飲料水の提供を優先して自転車等に積んで運び入れました。災害道路の確保を優先して警察署員が要衝で対応に当たりました。電気・ガス・水道の復旧に近隣県からの応援を入れて一日でも早い復旧を目指しました。
日本における災害ボランテイアの活動
全てが破壊された街の災害に初めて「ボランテイア組織が各所で生まれ、地域支援の力となりました。日本は昔から隣組としての組織がありますが、最近の核家族化と組織の希薄化などで全てが壊された社会で機能が発揮されず、外部ボランテイア組織が初めて生まれました。被災した住民は自分の身の始末が精いっぱいで隣組まで力が及ばなかった。このボランテイア活動は平成に起こった各地の災害時に一早く災害支援組織の運営にまで発展することになりました。
阪神・淡路大震災28年 追悼の祈り
知らない世代と「むすぶ」
毎年開かれている震災追悼28年、今年は知らない世代と「むすぶ」として1月17日竹灯籠に灯し28年前をしのび祈りを捧げました。震災を語る人が高齢となり、当時子供だった人が新たなつなぎ手となっています。今も続く悲惨な光景を後世に「むすぶ」時でもあります。巨大災害を風化させることなく語り継ぐ時が来ています。次の災害に繋げていく発信地としての役目があります。