冷戦終結調印後、ロシアの保守派にクリミアで静養中拘束
ゴルバチョフはロシア国民から人気は地に落ち歴史的指導者の死は時代の終わりをつげ、プーチン・ロシア大統領のウクライナ戦争により新たな混乱が始まっています。戦後の東西冷戦のソ連邦最後の大統領として西側諸国から絶大な信頼を勝ち得た大統領です。しかし、ソ連崩壊の道は厳しく、東欧諸国の多くは西側陣営のNATO軍事連合、EU圏に加盟し、ロシアと東欧圏に残った国家と同盟を維持しながら、世界で主権を無くすロシアの救世主として2001年プーチン大統領が20年前に現れ、厳しい対立を演出してきました。2014年ウクライナ領土クリミア半島に突如侵攻し 西側も対応しきれないままロシア領土に編入しました。ウクライナ国民、世界はロシアの暴挙に忸怩たる思いを抱いていました。
兄弟国と言われるロシアとウクライナは歪み会った中で8年を経過、さらにロシアは隣接するウクライナ・ドンバス地方(一部ロシア語を話す)の併合を是とし、ウクライナを支配下にとどめる侵攻を準備、西側諸国の厳しい金融制裁などを無視して2022年2月24日侵攻に踏み切りました。絶対的な武力の差があり、ウクライナの主権が侵されると西側は判断、直接戦争には介入しないが、厳しい制裁と軍事物資の支援などの支援が始まりました。
東西冷戦を終結した30年前世界は大きな変革期
ペレストロイカを掲げたゴルバチョフ大統領とブッシュ大統領(初代)との間で89年12月のマルタ会談は米ソ間の広範囲の分野で対話が行われ拡大し、米ソ関係は全く新たな時代を迎えて評価しました。米国はペレストロイカ支持の姿勢を明確に示し、ブッシュ大統領はソ連との通商協定を締結しソ連のガット(自由貿易)へのオブザーバー参加を支持しする姿勢を表明した。統計・財政・予算・税制・証券取引・独占禁止法などの技術的支援を約束。更に戦略兵器削減交渉基本合意、エチオピアに関する共同声明、通商協定、長期穀物協定、民間航空協定、環境保全などの共同声明、重要な軍備管理・軍縮・地域紛争・経済・科学・文化交流、全地球問題など幅広い分野の文書が合意され署名された。
ドイツ東西の統一問題・欧州情勢・ソ連経済情勢・リトアニア問題や地域問題についても意見交換された。ゴルバチョフのペレストロイカに始まり、新たなソビエト連邦の大統領として2年間1990~91年の2年間東西冷戦解除に向けた会談、署名は凄いものであった。しかし、たった2年でクリミアで休暇中のゴルバチョフをロシア保守勢力が監禁、幽閉しました。ロシア連邦でエリツインが大統領(1991年~1999年)当時首相を務めたプーチン(2000年~)に引き継がれました。
エリツインはゴルバチョフの下では改革派として行動したが、ゴルバチョフのペレストロイカの遅れを強く非難したためエリツインに対する他の政治局員に対する批判はゴルバチョフを驚かされるものであった。ゴルバチョフよりもさらに改革を進めようとしたエリツインの8年間に何を思うか? 引き継いだエリツインの21年の時代を迎えた。
ゴルバチョフのペレストロイカによるソ連邦の改革は変遷を経て、ゴルバチョフの死(91歳)を迎えた。
ソ連にマクドナルド1号店オープン 1990年1月31日
冷戦の象徴 モスクワマクドナルド1号店開店
ソビエト連邦の書記長、ソ連邦大統領に登り詰めたゴルバチョフが提唱したソ連邦改革( ぺレストイカ)によって西側を代表する米国大統領(レーガン・ブッシュ父)との重要会談を重ね、米国はぺレストイカに賛同し積極的に改革への道を支援した。当時ソ連邦は経済的にも困窮しており、西側との柔軟な対応が必要でした。
象徴的なモスクワに代表的なマクドナルドのハンバーガー店1号店をOPEN(1990年1月31日)しました。
モスクワの市民が長蛇の列を作って、先進的な店舗に感動しました。 20年過ぎてウクライナのロシア進攻に懸念を示す意味で、マクドナルドはロシアから撤退を決めました。 その跡地に似た形でロシア経営のハンバーガ店がオープンしました。 西側の衣料店舗・家具店舗・西側自動車生産工場なども撤退を決断、エネルギー資源に依存するロシアに大きな試練ものしかかってきます。