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天空の真言密教の聖地 世界遺産「高野山」へ

空海の生誕から真言密教の祖となる歩み

774年讃岐国屏風ヶ浦(香川県善通寺市)の郡司(司法官)で信心深い父母のもとで真魚さま(後の空海上人、弘法大師)が生まれました。6月15日真言宗では青葉まつりとして弘法大師の誕生日を祝っています。

14歳から古都京都の長岡で仏教を学び、四国の大峰山、室戸の霊場で修業し20歳で出家、和泉市槇尾山寺で剃髪し僧侶となる。22歳の時”空海”と改め仏教を深く学び大日経を知り31歳の時、唐の国(中国)へ渡る決意をし長崎から小さな船で渡りました。真言密教を継がれている第七祖で唐では右に倣うものがいない名僧恵果和尚に導かれました。二年間の修業を経て真言密教の第八代の称号を経て日本への帰路(806年)に立ちました。

 投げた三鈷が掛かっていた高野山の松の木

弘法大師空海が遣唐使として唐に留学し、唐の都長安にある青龍寺の恵果阿闍梨から密教の教えを受けて日本に帰る時明洲の浜から”日本で密教を広めるにふさわしい地を示したまえ”と祈りを込めて東に向けて三鈷を投げたら紫の雲に乗って日本に向かって飛んで行ったと言われ、空海が修行の地を求めているときに高野山の一本の松の木に引っかかっているのを発見し、山上伽藍の地を開祖の修行の地と決めました。松の下に数人がうずくまって松葉を眺めていました。三鈷が掛かっていた松の木で葉っぱが3本になっています。

弘法大師 真言密教の世界 壇上伽藍

壇上伽藍は817年弘法大師空海が弟子たちと一緒に高野山を開山し最初に開拓した仏教伽藍です。人々が密教の世界を目だ見てわかるように建立されています。

819年に建立された金堂は高野山の総本堂で1926年に焼失秘仏であったために永遠の謎となりました。焼失前の写真をもとに再建されています。拝観することで内部の荘厳さを感じることが出来ます。極彩色あふれる美しい仏像を観て拝むことが出来ます。真言仏教の世界を目で見てわかるように造られています。内部は撮影できませんが特別に許された写真家によって撮影された本があります。一つ一つの仏体に意味があることが詳しく表現されています。

 

空海の布教の寺院 東寺(京都)と修行の高野山

空海は布教の場所に人が集まる京都に教王護国寺(東寺)を開いていました。空海は高野山壇上伽藍に真言密教の修業の場とし、奥深い山を切り開き寺院を建立しました。真言仏教の信仰の場として寺院を建立し、弘法大師が祭られている奥の院まで広がっています。人里離れた山の上に1200年前に築かれた修業の場は、2004年世界遺産に指定され観光地として海外からも多くの人が訪れる地となっています。

 

今日の旅は「壇上伽藍」~奥の院へ向かう戦国武将や企業の墓が参道にまつられた墓石群に囲まれながら一歩一歩弘法大師が鎮座する奥の院に向かいました。歴史を感じながら足を運んでいると時間が過ぎ奥の院までたどり着くことが出来ず、日を改めて奥の院へ向かうことを決め下山しました。 ~アシストブログ サポーター~