· 

米中2強の狭間で厳しい選択を迫られる日本

GDPとは、一定期間内に国内で産み出された付加価値の総額のことです。その国内領土に居住する生産者による国内生産活動の結果、生み出された付加価値の総額を表しています。私たちはGDPの成長幅で実感を得ています。先進国の成長は伸び悩み中国を筆頭に毎年成長を続けています。

GDP成長率と消費人口の割合

21世紀日本のGDP停滞、米国4倍、中国3倍の成長 

各国の国内総生産を示した名目GDP(IMF統計)の数値が公表されています。1991年の金融バブル経済の崩壊によって平成不況に陥り日本の社会経済が大きく落ち込みました。

  • 戦後復興 衣食住を賄う社会の基盤づくり
  • 高度成長 所得倍増と技術革新による成長
  • 経済破綻 過度な金融政策による破綻経済
  • 平成不況 平成期30年間の日本経済の低迷

日本は高度成長期の賜物で世界2位経済国へ、振り返ると国内生産、国内消費が活発になりGDP成長率が高い水準を保ってきました。1973年オイルショックによる一瞬の停滞も蓄えられた活力と技術力で乗り越えました。

  • 団塊世代 戦後生まれ世代が高度成長を造る
  • 所得倍増 生産~消費の好循環所得倍増生む
  • 技術革新 衣食住・列島改造・インフラ整備
  • 団塊二世 団塊二世の誕生と列島改造の活力 

日本はアメリカ経済を凌ぐ勢いで成長を続け、1985年アメリカプラザホテルの主要5カ国蔵相会談で「プラザ合意」が行われ為替レートが自由化になりました。日本の対応は国内金融経済政策によって土地神話をもとにバブル経済を作り上げました。土地売買、株投資、リゾート・ゴルフ場開発、会員権投資、高級ブランド消費、消費生活の高額化4年3か月のバブル経済を経験し、1991年3月過度な投資の限界で銀行破綻などバブル経済の崩壊で、金融経済・社会資本・個人資産の破綻に追い込まれ平成不況が始まりました。

労働コストで新興国へ生産移転、空洞化を生む

製造業の海外移転により日本経済の空洞化と政変

高度成長期に支えられた固定為替レートが変動制になって厳しい局面を迎え、国内需要で乗り切ろうとした金融政策でバブル経済を招き、崩壊による、1991年以降急激な成長率鈍化を招き、海外の安い労働力を求めて生産工場の海外移転が加速しました。同時に技術と人材の移動も行われ新興国の成長に繋がりました。日本の産業構造は海外で安く生産し日本に輸入して流通させる社会・経済システム現象が起こりました。日本で生産する場合、コストを抑えるために人件費抑制の派遣社員が生まれ、雇用の不安定化を招きました。日本経済社会の凋落の始まりを示していました。2008年のリーマンショックでは大きなマイナス成長となり厳しい社会構造の歪が露呈し、長期政権を維持してきた自民党の分裂、連立政権の誕生が起こり、阪神淡路大震災時には社会党との連立村山政権が生まれました。社会経済の停滞は政治体制の不安定が続き自民党→民主党への政変も起こりました。

日本の主力産業の技術と生産が新興国へ

消費力低下と日本の主力産業の衰退現象

日本の技術と国内消費で高度成長期を作り上げた日本社会が平成期になり日本のバブル崩壊による社会経済混乱の影響の中で、労働コストが日本の10~20分の1による生産コスト低減で企業は海外移転に活路を求めました。同時に徐々に技術・人材の流出も起こり、企業で積み上げられた貴重な財産も移転しました。高度な日本の技術に追いつくことは難しいとされていましたが、徐々に現地の技術の高度化と人材が生まれ産業競争力にも影響が生まれてきました。2000年のIT革命によりデジタル化に移行し「デジタル社会」移行には日本の技術が力を発揮しましたが、新興国は急速なピッチで日本の技術を習得し、格安製品を作り出しました。日本の液晶テレビも日本社会に行きわたると衰退し、新興国技術が格安で世界に広がり始めました。

過去にアメリカが日本の生産技術の進化に取って代わられた現象が今、日本に起こっています。 

覇権国家アメリカは国内生産に大きく舵を切る

バイデン大統領は無防備な技術移転の危険を解消するため、技術・生産を国内生産に強力に置き換えることに舵を切りました。中国の過度の強権体制に対して自由主義国は連携して対応していくことが「コロナ対応の中で」新たな体制で臨んでいくことを示しています。専制主義と自由主義の闘いが始まりました。