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中村の出張日記 成田山新勝寺参拝

成田山新勝寺 門 中村撮影 20200719
成田山新勝寺 門 中村撮影 20200719

成田山新勝寺は初詣、節分で有名なお寺

 成田山新勝寺は、千葉県成田市成田にある真言宗智山派の仏教寺院である。同派の大本山の一つ、山号で成田山と呼ばれることが多い。当寺は不動明王信仰の一大中心地です。開山は平安中期(940年)で成田不動、お不動さんの通称で親しまれています。参拝者数の関東屈指の寺で、初詣に300万人(寺院1位社寺で明治神宮に次いで2位)が訪れます。

節分(季節を分ける日)立春(2月4日頃)を年越しの日とされ、「鬼は外、福は内」と声を出して福豆(煎り大豆)を撒いて、年齢の数だけ豆を食べて厄除けをします。成田国際空港に近いことから外国人観光客にも人気がある。 ~ウキペデイアより抜粋~

成田山は江戸時代の歌舞伎によって繁栄

戦国時代の終わりから江戸初頭(1596~1615年)に京で流行した派手な衣装や一風変わった、常軌を逸脱した「かぶき者の斬新な動きや派手な装い」を取り入れた「独特なかぶき踊り」が京で一世を風靡し、今日の”かぶき””の語源となっている。江戸時代には狂言、狂言芝居と言われていた。主に女性が踊っていたことから「歌舞する女、歌舞姫、歌舞妃、歌舞姑」で江戸時代は歌舞妓→現在歌舞伎と呼んでいる。初代市川団十郎の父堀越重蔵は成田山新勝寺のほど近い地の出身で、新勝寺とは縁があった。子に恵まれなかった初代団十郎は成田山に子宝祈願して2代目団十郎を授かった。”成田不動明王山”が人気となり「成田屋!」と掛け声がかる「成田屋」の屋号の由来です。江戸元禄から歌舞伎市川団十郎の成功が繁栄をもたらし、成田山詣が300年を経た今も当時信仰心が続いています。

成田国際空港の開港(1978年 昭和58年)

1971年3月強制代執行阻止闘争 成田空港周辺農民の団結
1971年3月強制代執行阻止闘争 成田空港周辺農民の団結

成田国際空港は厳しい反対運動の中で開港 

高度成長期の国際空港の建設を模索した政府は建設予定地を成田市三里塚に決め、1966年(昭和41年)千葉県知事に提案。国有地である宮内庁下総御料牧場や県有林を活用でき、周辺の土地の多くは比較的開墾から日が浅い戦後開拓の入植地であったため、用地買収が容易に進むと考えたためである。

 1978年(昭和58年)成田空港は開港を果たしたものの、反対派を支援する左翼活動家によるテロ・ゲリラが多発し、滑走路一本で開港した成田国際空港は正常な運営や二期工事の着工ができない状況に陥ったが、反対同盟も運動の在り方で分裂した。成田空港建設反対運動は今も続いている。

成田国際空港の拡張計画は今も続く

首都圏の成田国際空港の厳しい歴史の歩み

高度成長期の国際都市建設に羽田に替わる空港整備に千葉県成田を候補地とした時から、土地収用、建設、開港に至るまでの厳しい戦いがありました。都心から遠いことなどから羽田の利便性との比較が懸念されました。開港40年以上過ぎた今、更なる発展を目指して次のステップへと歩みを続けています。関西国際空港・中部国際空港・神戸国際空港などは空港島を造成し開港に至っています。反対派は漁業補償になり成田の土地収用の厳しさを避けました。近年、政府の羽田の国際空港化によって、成田の厳しい選択が迫られています。厳しい戦いの中で生まれた成田国際空港はこれからも発展を遂げることを期待します。