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東日本大震災から8年 3.11 追悼の日 

3.11 東日本大震災の追悼の日として、東北の各地で追悼式が行われ犠牲者約2万人の慰霊の日となりました。

政府主催の追悼式が、東京・千代田区の国立劇場で、秋篠宮ご夫妻や安倍首相、衆参両院議長や閣僚らが参加して午後2時46分に黙祷する。(一部の追悼式を画像で紹介)

M9.0東日本大震災(巨大地震)8年

大阪の仕事の訪問先で慌ただしい情報に只ならぬ事態を感じました。東北で巨大地震が発生し、東京の本社や携帯もつながらないと困惑していました。

何が起こっているのか想像すらできませんでした。車の走行中は感じず、事務所に電話すると”微かに揺れを感じた”と聞きました。

戦後最大の巨大地震(阪神・淡路大震災)の大災害による多くの犠牲者と家屋の倒壊・消失を経験した大阪人にとって、刻々と伝わる報道で異次元の災害であることが、巨大な防波堤を乗り越え、街を濁流でなぎ倒し、川を遡上する津波の怖さを繰り返し見ることになりました。

海底で起こった巨大地震は大津波を引き起こし20分~30分で10Mの防波堤を乗り越えてすべてを呑み込んでしまいました。

同時に福島原子力発電所の電源喪失で冷却機能を失い水素爆発を起こし、放射能が大量に飛散しました。

10Mの防波堤を乗り越えた津波

東北沿岸沖に10000mの日本海溝があり太平洋と北米プレートの境界があり、プレートの沈み込みで圧力が蓄えられ、跳ね上がって巨大地震と大津波を起こします。

東北沿岸部はリアス海岸で入江が沢山あり、暖流と寒流が交わる好漁場が目の前にあって、漁業が盛んにおこなわれています。

入り江の海岸に収穫した魚の荷上場やセリ場所・加工場などがあり、湾内にカキなどの養殖も盛んに行っています。津波で危険な場所に多くの人が集まり生活しています。

何度も津波の被害を受けている地域でもあり、避難訓練・防潮堤のかさ上げなども行っていました。

岩手県宮古市田老町の世界最強と言われた防波堤も一瞬のうちに乗り越え、町の全てが呑み込まれました。

 

巨大災害の怖さと悲惨な状況と復活

阪神・淡路大震災 1995:1:17 5:46  大阪にて

早朝5時46分 多くの人が寝ている早朝に感じたことのない大きな揺れで飛び起きました。テレビをつけ震源地の特定がすぐに認識できませんでした。兵庫南部の活断層帯付近で起きた地震と判明、壊滅的な家屋やビルの倒壊が見られ、家屋から出火し飛び火して拡がりました。道路が寸断され、高速道路が抜け落ち、電気・ガス・水道が遮断され、商店街が崩れ落ちて壊滅状態になりました。

犠牲者数 6434人 多くは家屋による圧死 家屋倒壊

東日本大震災 2011:3:11 14:46

日中の多くの人が活動中に発生した巨大地震で、20分後から東北沿岸部に第一波・二波の巨大津波が襲い、逃げ遅れた多くの人が犠牲になりました。

8年後、20000人近い犠牲者と、今も2000人以上の行方不明の方が見つかっていません。

繰り返し流される、津波の恐ろしさを見ることもできない人が出ていました。

同時に流されたのは、福島第一発電所の津波による電源喪失で燃料棒を冷やすことが出来ず水素爆発を起こしました。放射性物質の飛散による環境・食品・人体への被害により住む場所・活動の場所から避難を余儀なくされ、今も批難区域に指定され帰れない人もいます。再建するにも風評被害などがあり、厳しい選択を求められています。

災害が続く日本列島の恐怖と対策

昨年「災」の年として、年間を通して多くの自然災害に見舞われました。大阪北部地震・西日本豪雨災害・日本最高41.1℃記録猛暑日・台風21号大阪湾上陸関空被害・北海道厚真町地震による全道停電など、地殻変動による地震、地球温暖化等異常気象による豪雨・台風災害の巨大化が恐怖を呼んでいます。

自然災害に備える耐震化、構造物の強度・メンテナンス、老朽化しているインフラ整備など、過大は沢山残されています。

対策は行政は勿論、一人一人にも対策の知識と意識と実行が求められています。



災害復興にはボランテイア活動の支援が大きい

日本では、阪神・淡路大震災の時がボランテイア活動の始まりだと言われています。日本に昔から村単位で助け合う文化がありましたが、地域外から集まってボランテイア活動をする仕組みがありませんでした。今も災害地に足を運ぶ多くの人がいて、被災した人の大きな物的・心の支援になっています。スーパーボランテイア尾畠春夫記事

東日本震災保存事業に地道な活動が採用されました。

たろう観光ホテルの前で8周年の追悼の輪
たろう観光ホテルの前で8周年の追悼の輪

中小企業が開発した製品が、長年の地道な活動の中で採用され生かされることになりました。岩手県宮古市田老町の震災津波被害で世界最強と言われた10m防潮堤を乗り越えて、田老町の町を全て呑みつくしました。6階建てのたろう観光ホテルにも押し寄せ、1~3階を破壊し、何とか上階が残されています。

「東日本大震災保存事業」として残されることになり2016年4月一般公開され長く残されることになりました。 訪れてください。

 防錆塗料 CCP-117 記事掲載

 NHKの記事 たろう観光ホテル

復興庁 あと2年で廃止!

東日本大震災の復興行政に新設された「復興庁」はあと2年で廃止されます。復興が進んでいるようで目途がついていないのが実情でしょうか、福島原子力発電所の爆発事故による汚染対策が大きな妨げになって、帰還困難区域の解除が待たれています。帰りたくない人もたくさんいます。