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東京オリ・パラ2020 新たな5者会談

東京五輪の5者会談のメンバーに日本の女性3名
東京五輪の5者会談のメンバーに日本の女性3名

日本の組織トップの女性差別発言で会長交代

東京オリ・パラの開催が迫るなか、2月3日の組織委員会の会議で会長森喜朗氏の差別発言が発覚、翌日に謝罪と発言撤回の会見が開かれ日本が抱える問題が世界的な活動の中で浮き彫りになりました。男女差別の改革が遅れている国家として世界から厳しい指摘を受け、東京オリ・パラ開催が半年を切る中で、素早い会長交代が行われ「橋本聖子オリ・パラ大臣→組織委員会会長に、国務大臣に丸川珠代議員が再登板の就任」となりました。日本は東京都小池知事と女性3者が日本の代表となりました。組織委員会も女性理事を7名→13名=20名とし理事構成比率女性41%としました。

3月5日 東京オリ・パラの5者会談(テレワーク)

新型コロナの感染拡大第3波の中で、組織委員会会長の不適切発言と会長交代の厳しい中で、新会長橋本聖子氏の就任、丸川珠代オリ・パラ国務大臣の再登板が矢継ぎ早に決まり、問題発覚から一か月でIOC首脳との5者会談が開かれ、7月の開催に向けた話し合いが行われました。

3月中に海外観客の受け入れの是非・4月中に国内の観客の各競技の入場者人数についても結論を導き出したい。

3月25日~聖火リレーが復興の地、福島ベイビレッジからスタートします。混乱の中で聖火リレーの走者や自治体からの辞退など問題も残されています。大会中のボランテイア辞退にも発展した差別発言にも新体制で向き合っていかなければなりません。最大の難関は新型コロナ感染拡大の対策にあります。

長引くコロナと向き合う五輪祭典の厳しさ

世界のアスリートを東京に迎えることが出来るか?

日本は世界最大の第2次世界大戦の敗戦国となり(1945年)、焼け野原からの戦後復興を成し遂げ、高度成長期を迎え前回の東京オリンピック(1964年)が開催されました。東京~大阪間を新幹線が200㎞の速度で走り出しました。名神高速道路に始まり高速道路網が徐々に開通、東京オリンピックに向けた「首都環状高速道路」網が整備され、日本の発展を始まりを内外に示しました。6年後(1970年)に第2の年大阪で「大阪万国博覧会」が開催され、アメリカ館で月の石が展示されました。東京オリンピックではアパルトヘイト(黒人差別)で表彰台で黒い手袋をはめた黒人選手が世界に差別を表現しました。オリンピック(スポーツ)は差別や障害を乗り越え、政治や国家を乗り越えたスポーツの祭典を目指してきました。

戦争や覇権争いに翻弄されたオリンピック

1940年の幻の東京オリンピックと1980年モスクワ不参加

80年前(戦前)東京市で開催が決まっていた幻の東京オリンピックが日中戦争の勃発などにより大会を辞退しました。すぐに戦況が拡大し第2次世界大戦に突入しました。

1980年東西冷戦時代の初の共産圏開催のモスクワオリンピックにソ連のアフガニスタン侵攻に反発したアメリカ・中国など多数がボイコット、日本政府も不参加を表明、西欧圏でも賛否が分かれました。当時絶頂期の絶対的エース柔道の山下泰裕(現JOC会長)など多くのアスリートは参加を訴えました。しかし、政治が介入し幻に終わりました。4年後の米国ロサンゼルス大会で負傷する中で勝利し金メダルに輝きました。ソ連など共産圏から9か国が不参加になりました。不参加の国から優秀な選手が個人参加が許されました。

オリンピック憲章で祭典から政治や差別を排除し、貧困国でも参加できるように支援し、国から離れた難民者にも参加の権利を与え、スポーツの祭典として運営しようとしています。薬物を使ったドーピングなどにも厳しい対応を科し純粋な競技者の力を発揮することに厳しい体制を取っています。今回もロシアは陸上競技組織と選手に対して制裁を科しています。