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日韓関係の歴史と両国の認識 1

朝鮮半島(李氏王朝)500年明・清の朝貢国

朝鮮半島の李氏王朝(明1393~1637年・清1637~1894年)の500年間明・清国(現中国)の朝貢国であったと記録されている。明治維新のころ日本同様鎖国をしていた朝鮮半島(李氏王朝)は厳しい選択を迫られていた。

西欧列強・清国・ロシアなどが朝鮮半島を狙っていた。明治政府は最も近い対外交易の地として明治維新の志士たちは重要と認識していた。

近代国家を目指した明治政府は朝鮮半島の権益狙う欧州列強国・ロシア・清国の介入の中で、日本にとって李氏朝鮮の地位確認と列強国の朝鮮半島の権益を巡る争いに発展し1894年(明治27年)日清戦争に発展することになりました。

朝鮮半島の権益をかけた日清戦争

清国の属国の状況にある李氏王朝の地位確認と権益の争いにおいて1894~5年日清戦争が勃発し、中国遼東半島・黄海・台湾において戦争状態になり台湾平定で日本が勝利し日清講和条約(下関条約)が締結されました。

  • 清国は朝鮮国は完全無欠の独立国であると確認、朝鮮国から清国への貢・献上・礼典を永遠に廃止。(朝鮮国の独立を認める)
  • 清国は遼東半島、台湾を永遠に日本に割与する。後に3国干渉(独・仏・露)で遼東半島を清国に返す
  • 清国は賠償金2億テール(銀)を日本に支払う。金額にして3億円(当時)の高額であった。
  • その他清国に対して幅広い権益を日本国に条文化。

明治維新の志士が最初の外国との戦いは大国「清国」との戦いでした。朝鮮半島の独立を大国「清国」に認めさす厳しい戦いになり、日本は勝利によって得られた多額の賠償金で、産業発展の道筋を描くことができました。

強国ロシア帝国に立ち向かった日露戦争

1904年(明治37年)~1905年にかけて大日本帝国とロシア帝国によって朝鮮半島と満州の権益を巡る争いが原因で引き起こされた。

満州南部と遼東半島が主な戦場で、日本近海でもロシア艦隊との戦いが行われ、アメリカ合衆国の仲介でポーツマス条約(米国)により講和した。

  • 朝鮮半島の権益を認めさす
  • ロシア領の樺太の南半分を割譲
  • ロシアの大連と旅順の租借権を獲得
  • 東清鉄道の旅順ー長春館の支線租借
  • 賠償金は得られず。

遼東半島最先端の要塞旅順港にこもるロシア太平洋艦隊を日本軍が裏側に陸軍が203高地に配備し旅順港を日本艦隊が封鎖して三度の総攻撃で壊滅させたロシア帝国は急遽バルチック艦隊をスエズ運河と喜望峰の2航路で日本に艦隊を送り対馬沖日本海に達したときに日本海軍の総攻撃にあった。

日本は日清・日露戦争によって朝鮮半島の独立国の李王朝~大韓民国の欧州列強国・ロシア帝国・清国から独立を死守し権益を守った。後にこの戦いが日本統治へと進んでいく。

ロシア帝国は日清戦争によって一度取得した遼東半島を独・仏・露の三国干渉によって没収後、3年後にロシア帝国が先端の旅順港・大連港の租借を決定していた。(ロシア太平洋艦隊は旅順港を母港としていた) この戦いに日本に英国が力を貸したと言われている。

日露戦争当時の地図を見るとロシア帝国が遼東半島まで勢力圏を拡大し、遼東半島の向かいの山東半島はドイツ帝国が鎮座、清の国は英国に分断され南部ベトナムなどはフランスの植民地となり、台湾は日本統治となっています。100年前は清国・日本・タイ・朝鮮を除いて大半は植民地であった。