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安倍晋三国葬儀 国民賛否分断の中で!

故安倍晋三国葬儀 賛否両論の中、日本武道館で!

国葬儀開催のプロセスと安倍晋三元総理の政治姿勢対し国民に疑念を抱かせる問題が日々高まり、葬儀直近の国民世論調査で賛成32%、反対57%(9月NHK調べ)の状況で世界に日本の混乱ぶりが報道されることになりました。同時期に行われたイギリス・エリザベス女王(戴冠70年、96歳)の国葬は準備に満ちた国民が女王への感謝の追悼をもって執り行われ、ウエストミンスター寺院に世界の皇族(日本から天皇・皇后両殿下)・国家元首、王族、イギリス議会議員などが国葬に参列しました。エリザベス女王の死去後、イギリス議会が国葬を承認し実施した。日本は内閣が国葬儀を決め、野党を含め国民の意思を聞かないまま決定されたプロセスにも問題を残した。

7月8日 銃弾で倒れた安倍元総理の死、2日後の参議院選挙の政権与党自民党の圧勝に終わった中で、非業の死を遂げた安倍元総理への国葬への思いが自民党・閣僚の中から声が出て12日後に岸田総理が決断したことになっています。残念ながら野党の政局の弱体化の中で起こった間違った判断で、国葬反対の数が日々増し続け6割近い人が反対の意思示しました。岸田総理の”国民に丁寧な説明をする”という言葉もむなしくなる国会閉会中審議もなんとなく終わり、9月27日国葬儀の日がやってきました。 

安倍元首相街頭演説中撃たれ死亡に隠れた政治の闇

7月8日参議院選挙終盤の奈良での演説中に銃弾で死亡のニュースは世界を駆け巡りました。日本の憲政史上最長7年8ヶ月の長期政権を率い、円高(当時70円台)不況の中で民主党から政権を奪還し、2度目の内閣総理大臣となり3本の矢(金融・財政・成長)を掲げデフレ脱却のアベノミクスの推進を掲げ円高→円安、株高の社会経済改革を実践しました。日銀と連携したデフレ対策、インフレ誘導が中々思うように達成しませんでした。2020年1月中国発の新型コロナウイルスの世界的拡大で、4月に緊急事態宣言を発しました。コロナ禍の中で持病の再発で2020年夏、総理を辞任しました。長期政権の中で、自ら関係した森友・加計学園問題、桜を見る会の問題で紛糾、森友では財務省の文書改ざん問題が起こり官僚の闇が浮かび、アメリカ留学時代の友人友加計学園の加計氏との疑惑交流、地元山口の有権者の総理大臣主催のさくらを見る会への不明瞭な会計処理など、国会での野党の追及に明確な回答を避け対立を計り、国民の不信も募りました。殺人未遂容疑で逮捕された41歳の男は統一教会2世として母の入信と巨額の献金(霊感商法も含め)貧困な家庭に悩み、自衛隊時代に自殺未遂する環境にあったと報道され、故安倍晋三元総理が統一教会の集会にメッセージ画像で壇上に上がっているのを見て殺害を計画したと証言しました。 

30年前 霊感商法で世間を騒がせた宗教団体

安倍元総理は41歳の元自衛隊員の男の銃弾で倒れ救急処置もむなしく亡くなりました。逮捕殺人犯は安倍元総理「統一教会と関連している」と証言しました。

犯人は統一教会の元2世信者であり父の死後入信した母の影響で多額の献金、霊感商法による高額の経典、印鑑、などの品を億円以上を収めた経緯から家庭は貧困になり、兄(自殺)、犯人、妹、3人の兄弟は苦しみ犯人も自衛隊時代自殺未遂を計り「統一教会」を憎んでいた。

世界平和統一家庭連合(旧統一教会)は1954年文鮮明が韓国で創設した新宗教で文化庁ではキリスト教系に分類されている。1992年(30年前)3万組の合同結婚式がソウルオリンピック会場で開かれ、日本を代表する芸能・女子スポーツ選手が参加したことで反響を呼び、その後高額献金、霊感商法で世間を揺るがす問題に発展しました。30年過ぎた今、安倍元総理の死の中に、未だ日本の政治活動の中枢に影響を及ぼしていることに多くの各民は驚かされました。教祖文鮮明はアメリカの共和党内で反共運動(反共産党)で広め、日本でも安倍氏の父岸信介時代から同様の政治への浸透で新宗教の拡大を計りました。40年前フランスでも、ゴルバチョフになど政権の中枢と連携、

日本の一票の重みに政治家の姿勢を問う

日本の国政選挙の投票率が低下の一途

1989年参議院選挙で社会党が第一党になった”政治の山が動いた”社会党土井たか子の勝利宣言、1991年バブル経済崩壊を境に日本の政治不信と政治への諦めが起こり、投票率が衆議院・参議院とも大きく落ち込みました。バブル崩壊と同時に起こった小沢一郎竹下派の一部が自民党→新生党へ移り、衆議院選挙後に8党連立の細川内閣を組閣、自民党の55年体制が崩れました。1年持たず、自民党・社会党連立政権で自民党が復権しました。しかし、経済の低迷、阪神淡路大震災など社会経済が混とんとする中、投票率も低下しました。平成不況が、政治も社会経済も落ち込んでいきました。2008年リーマンショック後に起こった世界経済の厳しい状況の中で、年越し派遣村など社会の困窮が起こり、自民党政権が2度目の下野で労働組合等の支持を受けた民主党政権が誕生しました。この時の衆議院の投票率は69%を超えました。

日本の政治は明治維新以来脈々と繋いできた官僚政治の打破を掲げ、政治主導で日本の復活を成し遂げると意気込みました。しかし、政治家の人材も乏しく官僚の抵抗もあり新たな政治を築くことができませんでした。

大阪で地方政党による維新改革が起こりました。

大阪府・市の財政赤字が拡大し多額の負の遺産を抱えた第2の都市復活を掛けて立ち上がりました。2008年自民党・公明党府連の推薦で38歳で府知事に立候補当選しました。盟友松井一郎(自民党府議離党)と大阪府の維新改革を実行し、後に府の財政よりも大きな大阪市と対立し、府市一体の改革を訴えました。今も維新の会は大阪府維新の会が基盤で「日本維新の会」が国政を担い広がりを見せています。大阪の府・市議会で議員を「先生」と呼ぶことをやめることを決定しました。