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英国エリザベス女王の国葬 激動の70年

 96歳のエリザベス女王はバルモアル城で死去

高齢のエリザベスはスコットランドの避暑地バルモアル城で9月8日、チャールズ皇太子、カミラ夫人、ウイリアム王子など家族に見守られて亡くなられた。96年の生涯、70年の英国女王としての務めを終えられ、世界中に衝撃的な悲しみのニュースが報じられました。逝去の前6日に英国議会ジョンソン首相の退位とペレス首相の任命の最後の公務を行われました。

即座にチャールズ国王・ウイリアム皇太子就任、英国議会でエリザベス女王の国葬スケジュールが決まりました。

  • 11日(日本時間)バルモラル城から6時間(280㎞)かけてエディンバラの女王公邸ホリールードハウス宮殿に運ばれた。
  • 13日夕、エディンバラから飛行機でヒースロー国際空港へ移動、ウエストミンスターホールへ安置
  • 19日ウエスタミンスター寺院で国葬
  • 葬儀後ウインザー城へ

1707年 グレートブリテン王国(イギリス島)成立

1603年にステュアート朝のジェームス1世/6世がイングランドとスコットランドの王を兼ねて以来連合の関係にあったが、アン王女時代の1707年合同法により両国の議会が統一(連合)された国家となった。18世紀初め(1714年)ハノーバー朝が成立すると、ビクトリア女王(1837~1901年)が統治していた時代の64年間、産業革命が起こり大海原に蒸気船を走らせ世界に帝国主義的政策を実行し、大英帝国の最盛期を迎え19世紀には自由主義時代にはいる。ビクトリア女王(64年)はエリザベス女王の高祖母に当たりイギリスの君主を長く務めた。エリザベスは最長(70年)君主であった。

:1603年 徳川家康が江戸幕府を造る :1837年 ビクトリア女王即位 :1840年 アヘン戦争

アイルランド島はイギリスの統治下にありましたが1946年南部が独立自治国家として宗教的・文化的な独立国家となっています。北アイルランドはイングランドに近い文化によって英国の統治下ににあり、英国国旗にХ部分がアイルランドを意味しています。しかし、北アイルランド紛争にあるように今も様々なところ(EU離脱など・宗教観)で難しい問題も残されています。

:1845年から続くラグビーはイングランド発祥でイギリスのフットボールクラブから広がった歴史があります。イギリス(イングランド・ウエールズ・スコットランド・アイルランド)、ニュージランド・オーストラリア・南アフリカ・フィジー・トンガなど英連邦圏が盛んで、日本も有能な外国選手が帰化し活躍して世界10位になっています。ラグビーワールドカップではイングランド・ウエールズ・スコットランド・アイルランドの代表で出場。

黒船来航 浦賀へ 産業革命で繁栄した大英帝国

18世紀にイギリスで起こった産業革命と蒸気船

ビクトリア女王(1837~1901年)時代にイギリスで起こった産業革命は石炭によるエネルギー革命、綿織物生産の技術革新、製鉄業の拡大と蒸気機関の開発による動力源の刷新があります。大英帝国は巨大蒸気船で世界の大航海が始まりました。蒸気船の航海で人の交流や物の交易が拡大し大航海時代が始まりました。その過程で欧州各国の往来と領土獲得が頻繁に行われ植民地紛争が各地起こりました。1840年頃イギリスが中国(清国)へ侵略第1次・第2次アヘン戦争経て清国から1898年香港を99年間の租借が決まりました。1998年サッチャー首相と鄧小平との間で返還協定が結ばれ2045年まで一国二制度の中国統治を行い50年間の柔軟な対応が保障されました。しかし、経済・軍事で強国となった中国は25年目にして中国の国家安全法により自由な香港が失われ、選挙制度も全て中国の意向によって決定されるようになりました。

日本は鎖国から明治維新で欧米の近代化を学ぶ

日本は大政奉還によって江戸城無血開城の6ヶ月後に明治天皇が京都御所から江戸城(東京城)へ入場されました。尊王攘夷による新政府軍と旧幕府軍による鳥羽伏見の戦い、戊辰戦争が起こり混乱期の中で政府は英国など使節団を海外に派遣し学びました。明治維新は日本国にとって戦国幕府(徳川幕府260年)大転換の時であった。士農工商の武家政治の撤廃は武士が刀を置いて社会に溶け込む大きな変革でした。中央政府は主に薩摩・長州・土佐・肥後(佐賀)を中心とした政府組織で明治維新を成し遂げました。

明治維新の改革

  • 大政奉還 明治    江戸幕府15代将軍・徳川慶喜が政権を朝廷に返上、翌日天皇が上奏勅許  
  • 廃藩置県 明治4年 明治政府は藩を廃止(封建制度)中央管下の府県に一元化した行政改革
  • 徴兵令  明治6年 欧米の軍政に習って満20歳以上男子に3年間の兵役を義務、徴兵制実施
  • 地租改正 明治6年 土地の私的所有権の確立、地租制度改革を行った。
  • 学校制度 明治6年フランスの教育制度を採用、小学8年、中学、大学で有償、明治18年小学4年無償化となる。学校制度は少し遅れる

文明開化、明治時代 前半に、日本が近代化する過程で起こった社会現象を表す言葉です。武士や町民の髪型、服装に洋風化が起こり、街には近代化の波が押し寄せ、洋館の建造物が出来ました。

大英帝国の繁栄と日本の明治維新の大改革

明治維新 京都二条城で徳川慶喜 大政奉還 

第15代徳川慶喜は京都二条城で大政奉還を行い徳川幕府260年の統治の幕を閉じまし。天皇の住まい京都御所は恒武天皇が794年平安京に遷都した後の住まいは何度か移した後、1331年光厳天皇が即位した京都御所は1869年に明治天皇が東京に移るまでの500年間、天皇の住まいとして使用されました。この間、幾度となく火災に遭いその都度再建され、現在の建物の多くは1855年に再建されたものです。(明治維新1868年)

大英帝国は国王が国家元首となり、議会制民主主義の議会は首相を任命しする統治体制を日本が英国から三権分立議会制民主主義を明治維新の統治体制を行ってきました。エリザベス女王の国家元首と、日本は戦後の象徴天皇制に統治は変わりましたが、今も荘厳な寺院、議会、宮殿などの振る舞いを学び統治しています。