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韓国光復節 文大統領の演説

日韓対立が頂点に達した光復節

2年半前、韓国保守朴槿恵大統領を罷免し、200万人を超えるローソク運動で80%の支持を獲得し、北朝鮮との融和を掲げる文政権が誕生しました。世界12位の経済国になった韓国は自立の道を歩み、新政権で開かれた平昌オリンピックで南北融和・統一の意志を表現しました。

積極的な米朝交渉の仲介役を演じてきました。

日本へは植民地支配、慰安婦・徴用工問題を再現し、安全保障の要である韓国軍哨戒艇からの日本偵察機への照射問題などが起こり日韓関係は泥沼化しました。

輸出規制による対立激化

輸出3品目の輸出規制強化が対立の始まり

7月1日、日本は軍事転用の可能性のある3品目について、3年間の包括申請から、個別申請に強化することを通知することで、韓国政府は徴用工問題とすり替えた輸出規制でWTOに違反すると厳しく批判しました。

日本は優遇措置(ホワイト国)から一般の個別申請に戻したと主張、世界の国々が経済紛争を議論するWTO会議に韓国が持ち出すことになりました。

日本は8月2日の閣議決定で韓国をホワイト国から除外することを閣議決定し、1000を超す他の品目も個別審査にすることを決定。8月29日から実施。

冷静に対応する安倍政権

安倍政権を批判する韓国

輸出規制によって「韓国の不買運動」が一気に起こり、日本製品(ビール・ユニクロ・化粧品・・・)日本への旅行などが制限され、街中に不買運動の幕が掲げられ、対抗姿勢一色になってきました。

途中から日本パッシングから「NO安倍」に変わり、安倍政権を批判の対象にしました。

近年、日本と韓国の若い世代を中心に交流は積極的に行われ、現実的には切り離せない関係が存在しています。

韓国に解けない難題がある

1948年8月15日韓国光復節
1948年8月15日韓国光復節
核・ミサイルを打つ休戦中の北朝鮮

1910年日韓併合による植民地支配は1945年の日本の敗戦によって解除され、1948年朝鮮半島の独立が認められました。8月15日が光復節として、韓国では重要な日になっています。北朝鮮は1948年9月9日、ソ連統治下の中で独立宣言しています。資本主義と共産主義の分断国家が生まれ38度線を境に朝鮮戦争が起こり3年間殺戮の厳しい戦争が起こりました。アメリカ・中国が後見国として休戦協定が結ばれ65年今も2㎞の幅で向かい合う分断国家です。

韓国は北より貧しい世界最貧国として歩み、軍事クーデターで政権を担った朴正煕が「漢江の軌跡」を起こして、今の韓国の繁栄の礎を築いたと言われてきました。

韓国の歴史教科書から消えた「漢江の軌跡」

「漢江の軌跡」教科書から消える政治の転換

韓国人は誇りに思ってきた「漢江の軌跡」は1960年~1980年代にかけて、韓国が著しく発展を遂げ、今、先進国に追いつくまでに成長できました。韓国の歴代大統領で最大の貢献者に挙げられる保守派朴正煕日があげられ、娘朴槿恵大統領を罷免して、反日・北との融和を掲げる文政権にとって不都合な記述を教科書から消すことになっています。

歴史教科書を変える大きな政変が韓国で起き、1965年に結ばれた日韓請求権並びに経済協力協定などは無視され日韓紛争に大きく発展しています。

慰安婦問題に関しても朴政権によって日韓で作った支援財団を閉鎖し、徴用工訴訟も裁判所の決定に政府は介入する立場にないとし放置、日本企業の財産差し押さえの状況を招き紛争は激化しています。

冷静に受け止める日本、韓国の民衆

韓国は政治の中で保守政党から革新政党への大きな転換期にあり、先頭に立つ文政権は徹底した「反日」を旗印に政権運営している以上厳しい環境が続きます。反日を掲げて支持率を維持している中で、保守派の活動も活発になり、韓国内の政局も目を離せない状況になっています。(日本人には難しい問題・・)