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阪神・淡路大震災から25年

戦後最大の都市直下地震(M7.3)の大惨事

25年前、筆者は大阪で早朝、激しい揺れに起こされました。一瞬何事が起ったのかわからず、テレビをつけました。京都震度5の表示に京都で地震が発生したと思いました。時間が経つと神戸の方がひどい状況であることがわかり、大阪市内の阪神高速道路が閉鎖されていることが報道されました。

直下地震を受けた兵庫県南部の人は逃げまどっていたことは想像もつきませんでした。(記事サポート 大阪南部在住)

戦後最大の経済危機を襲った大惨事

日本は戦後復興・高度成長期を経てバブル経済を謳歌し、オイルショックなどを乗り越えてきました。しかし1991年(平成3年)3月バブル経済崩壊を迎え、政治・経済は衝撃的な状況下にありました。

金融経済の失敗で長期政権の自民党が下野し、敵対している社会党を首相指名し連立村山内閣が誕生した時に、戦後最大の大惨事が起こりました。

阪神高速道路が根元から折れ倒壊し、鉄道網も折れ曲がり全ての電車が止まる大惨事で、水道・ガス・電気のインフラが崩壊し、住宅・ビル・工場・商業施設など多くは倒壊・火災などの被害と都市機能が完全マヒしました。この大惨事になすすべもなく立ちすくむだけでした。徐々に外から飲料水などをもって、被災地に外から足を運ぶ支援が徐々に生まれました。

日本の大動脈をつなぐ復旧・復興歩み

日本はバブル経済崩壊の混乱期に起こった巨大地震は日本国の大きな試練の時でした。前年関西国際空港が開港し、写真の明石海峡大橋が完成に近づいていました。高度成長とバブル経済を象徴する建造物が完成を控えていた最中の出来事でした。

明石海峡大橋の真下の活断層地震で支柱の基礎部分が1mズレ動いたと言われました。大橋は3年後の平成10年完成開通しました。

死者 6434名 負傷者 43792名 全壊 104,906 半壊 144,274 焼失 7,036 等の被害

鉄道網は全線ストップ 可能な所から開通 JR神戸線は74日目に全線復旧、阪神高速神戸3号線倒壊~翌年9月30日全線開通(630日)、混乱が続く中、生活再建、事業再開、経済復興などを遂げつつ25年を迎えました。残念ながら再建を断念した人もたくさんいます。震災後生まれた子供が25歳を迎えました。

阪神・淡路大震災 復興25年をたどる

早朝に発生した巨大地震は想像もしていない神戸の地域で起こって25年になりました。私は建築関係の仕事をしている時の大惨事でした。三日前に神戸大学の多目的教室他の改装現場にいて、数日後に施工予定の出来事でした。災害発生時から頻繁に神戸方面を目指して走りました。湾岸線で行けるところまで行って、混乱する道路をすり抜け、時には六甲の山道を迂回したり奔走しました。復興10年と言われていましたが、3年過ぎるとインフラ整備が進み、明石海峡大橋も開通し、少しずつ落ち着きを取り戻してきた感じがしました。復旧時は西宮鳴尾浜海岸沿いにがれきを積んだトラックが長蛇の列をなして処分地に向かっていました。10年過ぎた頃、神戸で毎年1月に開かれる震災シンポジュームに参加して思いを再現しました。

平成は東日本大震災など巨大災害など多くの地域で災害が起こりました。 (サポート記事)