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ソフトバンクとトヨタが描くモビリティーの未来

ソフトバンク 孫正義(61歳)

1981年創業 ソフトバンク創業者 孫正義

  • 1957年 佐賀県鳥栖市生まれ 61歳
  • 韓国籍 祖母が14歳で戦前日本に渡る。
  • 両親  働く両親に変わり祖母に育つ。
  • 父親の三憲が密造酒製造販売・金融・パチンコ業で成功 父吐血、高校を中退する。
  • アメリカに事業家を目指し渡米を決意
  • 高校2年編入、飛び級で卒業、カリフォルニア大学の3年生に編入、シャープに自動翻訳機を一億円で売り(1979年)米国で起業
  • ソフトウェア開発「Unison World」を設立。
  • 1980年カリフォルニア大学バークレー校を卒業。学位は、経済学士。 日本へ帰国
  • 1981年博多でコンピュータ卸売事業設立
  • 1981年福岡日本ソフトバンクを設立
  • 1983年慢性肝炎で入院、社長職→会長へ
  • 1990年日本に帰化 ソフトバンク株式に
  • 2001年ヤフーBB立ち上げ日本に旋風
  • 2004年ホークスをソフトバンクに!
  • 2006年ボーダフォン買収携帯事業参入
その後、情報をベースに海外で買収劇を繰り返し、その額の大きさに驚きます。その劇場は一部は報道されている出来事です。

創業30周年(2010年)式典の講演で振り返り、次のチャレンジを発表しています。

苦難の連続、ブロードバンドを開始一瞬で300億円もの累積赤字を出した。ソフトバンクの2009年度の営業利益は、日本で3位のところまできました。

 ソフトバンク創業30年(2010年)時代の寵児が、20,000人の社員に30年先のビジョンを問いかけ、まとめて「最後の大ぼら」として、「新30年ビジョン」を発表しました。

  • 「情報革命で世界中の人々を幸せに」
  • 「ありがとう」と言える幸せな社会に
  • 情報革命で感動の輪を広げて喜びを!
2011年3月11日:東日本大震災による原発事故に遭遇、個人・会社で各100億円を寄贈、再生エネルギーへの転換を訴え実行に移しました。
携帯事業に参入して12年、次代の寵児は世界を見据えて投資を続けるつもりです。
  • 中國最大の通販サイトアリババに投資1999年創業。中国のアマゾンと言われる会社。 創業者馬会長に孫正義が投資、他の買収資金として多額の金額で売却が話題に、しかし、今もソフトバンクが筆頭株主になっている。

  • アメリカの携帯会社買収計画、米携帯4位のスプリントと同3位のTモバイルUSに関与
  • 世界一の英国半導体ソフト会社アーム社を3兆円で買収。スマートフォンの中に入っている半導体の97、98%は同社が設計した半導体であると孫正義は言う。
  • 1000兆円の孫正義のファンド設立、サウジの国王なども参加して投資する。
  • 世界の企業などに投資し世界を動かす。

Googleが自動運転技術を開発するように、AI革命の社会になって、ものづくり企業と情報企業の連携の時代に突入してしまっています。

日本のトップ企業同士が提携する時代になり、ソフトバンクとトヨタが手を組みました。

半年前、双方の若手社員のグループ討議の中から生み出された提携であったと双方のトップが発表しています。

世界が鎬を削るAI革命と自動車を中心としたモビリテイー社会に、若き日本のトップ経営者が手を取ることに、大きな意義と喜びがにじみ出る。

ブログで表現できない大きな社会変革の時が生まれています。

トヨタ 豊田章男(62歳)

トヨタ自動車株式会社は、日本の大手自動車メーカーである。通称「トヨタ豊田自動織機を源流とするトヨタグループの中核企業で、ダイハツ工業日野自動車の親会社、SUBARU筆頭株主である。 

トヨタグループ全体の2017年の世界販売台数は約1038万台で3位[2]、トヨタブランド単独では約847万台で世界第1位である[3]

  •  豊田佐吉(人名は「とよ」と濁る)が創業した豊田自動織機製作所(1926年)始まり。
  • 1933年に開設された自動車部がトヨタ自動車の起源で、中京デトロイト構想創案者で大同メタル工業創立者の川越庸一が豊田喜一郎を説き伏せ、自動車部設置に至った。
  • 1937年愛知県挙母市(現豊田市)に設立され、本社と工場が設置された。創立記念日は本社工場が竣工された11月3日としている。
  • 1941年に利三郎は会長に退き、第2代社長に創業者の喜一郎が就任した。日中戦争および太平洋戦争中は主に帝国陸軍向けのトラックと、乗用車などを生産し、陸軍の要請で川崎重工業との合弁で後にアイシン精機となる東海航空工業を設立したり、トヨタも航空機部門を作って航空機用エンジンを製造した。大戦末期の1945年8月14日にアメリカ軍の爆撃で挙母工場(現トヨタ工場)の約4分の1が破壊された。
  • 1950年にドッジ・ラインに伴うデフレと戦前の好調を支えた割賦販売方式の影響を受けてトヨタは経営危機に陥った。豊田喜一郎社長は辞任に追い込まれたが、直後に朝鮮戦争が勃発して軍用トラック特需があり倒産を回避、同時に技術者の中村健也の監督のもと、国産自家用車の開発を開始した。
  • 経営危機時、トヨタと取引のあった銀行24行による協調融資団が結成される中、帝国銀行東海銀行を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(トヨタ自販)が設立された。融資に協力した帝国銀行と東海銀行が主力銀行となるが、融資条件に合理化も含まれており、トヨタは初のリストラを断行している。貸付金を回収した大阪銀行は、後継の住友銀行がさくら銀行と合併するまで50年のあいだ口座開設や取引はされなかった。
  • 喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にクラウン(1955年)、コロナ(1957年)、ダイナ(1959年)、パブリカ(1961年)などロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。1956年クラウンがロンドン-東京間を走破、国産自動車メーカー各社の自信となった。のちの中川不器男社長時代にスポーツ800(1965年)、カローラ(1966年)、ハイエース2000GT(1967年)などを発売し、カローラの躍進によりトヨタはシェアトップを不動のものとした。このころから北米、タイブラジルなどにも進出してカローラランドクルーザーが一定の地位を築いた。

創業家復帰 豊田章男(62歳)

2009年 トヨタ自動車 豊田章男 社長昇格

2008年のリーマンショック・アメリカの裁判・議会公聴会出席など厳しい局面で創業家の復帰社長。

銀行員からトヨタに一従業員として入社して経験。

[「自動車業界が二十一世紀も必要とされるのか、今が瀬戸際」[16]と危機感を表明、14年の創業家復帰。原点回帰急激な拡大路線を止めて、価値分析で原材料コスト削減、F1から撤退、出費を縮小、経営人数の削減、意志決定迅速化、世界の消費者需要を詳細に把握して地域事情に適合した車種を投入。「もっといいクルマづくり」を提唱する。

スポーツマン(ホッケーの日本代表)、テストドライバーで技術にも精通している。

2012年は再び業績が向上し、2013年度はトヨタグループの世界販売台数が初めて1,000万台を超え[19]、2014年3月期の決算で6年ぶりに最高益[20]となり業績をV字回復させた。 自動車関連の情報を総合的に提供するウェブサイトGAZOO.com」を立ちあげモリゾウ名でネット社会へ顔を出す。



東京モーターショー2018

2018 東京モーターショー 10月6日~8日 開催

若い人を中心にしてトークショーアンバサダーのマツコ・デラックスが司会で始まる。

自動車工業会会長 豊田章男社長とのトーク、途中で前日提携会見をしたソフトバンク孫正義代表が加わり

若者の質問も交えて一時間盛り上がる。

ユーチューブ動画を掲載しました。時間があれば見て、聞いてください。

2018  スペシャルトークショー (東京)

 

10月6日 1時間 ユーチューブ 

 

マツコ・デラックスがショーのアンバサダー 

 

豊田章男社長 自動車工業会会長とのトークに ソフトバンク代表孫正義代表が緊急特別参加して盛り上がる。

 

2018年10月7日 現在 企業総資産で日本のトップ2社(1位 トヨタ 2位 ソフトバンク)

 

前日、両者の提携が発表された翌日です。 

 

豊田章男社長 世襲3代目 2009年就任 アメリカ公聴会に呼ばれる。社長1年で交代を覚悟

 

孫正義代表 10年前、過大な負債総額で銀行から返済を迫られていた。