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尾畠春夫 79歳 リヤカーの旅 浜松で断念

2019年2月26日の新聞報道で、2~3日見かけない尾畠春夫さんが大分に返っていることが判明しました。

リヤカーの旅は日に日に話題となり、多くの人が沿道に増え危険を感じて取りやめたとのことでした。

80歳を迎える、尾畠さんの行動を祈っています。(2019年2月26日 記事掲載)


2019年2月18日 東京~大分 リヤカーの旅

昨年(2018年8月15日)の行方不明の2歳の男の子が4日目の朝7時無事発見のニュースが流れました。尾畠春夫さん生き方は、ニュースで連日流されました。時の人となったスーパーボランテイア尾畠春夫さんの生き方に感動しました。あれから半年、忘れかけていた尾畠さんが東京~大分1300㎞リヤカーの旅が始まりました。

尾畠春夫 79歳 リヤカーの旅

一カ月前(1月19日)東京からリヤカーの旅が始まったことが報道されていました。70kgの荷物をリヤカーに積んで79歳の尾畠さんが歩き始めました。

「世界の子供たち、幸福を願う、79歳と3か月の挑戦」

のぼりを掲げてリヤカーを引っ張って一歩一歩歩み始めました。

一カ月たった今、どのような状況かネットニュースを追ってみました。東京~神奈川~静岡県を走行し、2月18日(一カ月経過)静岡県清水市を走行中のようです。

世界の子供たちの幸福を願う挑戦!

Google画像、ユーチューブ動画を掲載しました。



行方不明の2歳児を救出した尾畠春夫さん掲載

ボランテイア 尾畠春夫

発見のニュースと共に映し出された赤い鉢巻のおじさんは、150人体制で3日も探したのに、朝7時に見つかったの報道に唖然とし、30分で探した人の風貌を見て一瞬何者だろうかといぶかった人もいたと思います。 私もその一人です。

ドラマは終わりません。尾畠さんの生き方に報道陣も殺到、行く場所行く場所追いかけました。

尾畠春夫さん30分で救出

山口県で12日から行方不明になっていた同県防府市の男児・藤本理稀(よしき)ちゃん(2)が15日午前7時ごろ、発見された。山口県警が明らかにした。テレビ各局の報道によると最後に姿が確認された場所の近くで見つかり、意識はあり受け答えもできる状態だという。

 不明から約3日後、朗報がもたらされた。約150人態勢で実施された14日に続いて捜索が予定されていた15日、理稀ちゃんが見つかった。その際、成人男性と一緒にいた。男性は近隣住民ではないとみられる。その後に病院へ搬送された。

 理稀ちゃんは12日午前10時半前、帰省先の曽祖父宅から約400メートル離れた海岸へ海水浴に行くため祖父らと外出。途中で理稀ちゃんだけが引き返し、家からの道と違う道に進んでいくのを祖父が見ていた。

 遅れて家を出た母親の美緒さん(37)らが、祖父らと同じ道を通って追い付いた際、行方が分からなくなっていることに気付いた。

 14日には美緒さんも屋外の公共用スピーカーから「よっちゃーん、お母さんだよ。いたら返事して」などと呼びかけたが、手掛かりは見つからなかった。

 3日間、大捜索が繰り広げられた末、不明になった現場近くで見つかった理稀ちゃん。その一帯は当然、綿密に調べられたはず。遠くまで歩き回って、戻ってきたのか。体力を消耗する真夏の3日間サバイバルの解明も待たれる。

        エキサイトニュース記事


スーパーボランテイア 尾畠春夫 78歳

30分で探した経験と勘の働き

尾畠春夫さんは大分からシルバーの軽自動車で前日駆け付け、捜索活動をさせてください。警察や両親にもお伝えし、何とか見つけ出してお母さんにお届けしますと言って、車中泊し、翌朝6時過ぎに山の方に向かい、よしきくん~と叫びながら声を掛けていると、“”ここ~“” と沢の方から声が聞こえて行ったら ~石に腰かけて座っていた~

持って行った飴を上げたらカリカリと食べた。

それでも探した人は何者だろうと疑心暗鬼!が漂う。

ボランテイアの始まり由布岳

大分由布院温泉で知られる由布岳に登山を始めて、お世話になった山道や休憩施設などの修復などを55歳ごろからボランテイアとして始める。

山登りが好きなようで、長野県のアルプスや多くの山を極めているようです。今でも一日8キロを走る健脚の人です。

66歳佐多岬~宗谷岬3300㎞

65歳で魚屋をやめて、66歳の4月1日鹿児島の佐多岬~国道(数値の少ない3号・2号・1号などを一日35キロ超歩いて三カ月)~北海道宗谷岬へ到着、3300キロを走破、靴を4足履きつぶしたそうです。

宗谷岬で奥さんとお孫さんに迎えられました。

2歳児無事発見 尾畠春夫

発見翌日 大分の自宅で

年金でボランテイアに参加

シルバーの軽自動車で寝泊まりしながら、2007年の中越沖地震などのボランテイアをはじめ、2011年3月11日の東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県三陸町のボランテイア活動に参加、5年間

車に寝泊まりしながら続けた。

西日本豪雨の呉の被災地へ

8月15日に山口県で2歳の男の子を助けて時の人となり、16日帰った家に報道陣が殺到しました。19日には西日本豪雨災害の呉の被災地に戻っていました。シルバーの軽自動車に寝泊まりして8月31日までボランテイア活動をする予定とのことでした。



地震や豪雨の被害に遭われた方々に、「明日も朝が来るから」と励ましの言葉をかけ続け、被災者の方々に勇気を与えたというエピソードもあります。

尾畠さんは65歳まで務めた魚屋を、65歳の誕生日を迎えて辞め、今までお世話になった社会に少しでも恩返しがしたいという思いからボランティア活動を始められました。

自分が笑えば周りも笑顔になる。笑顔のそばには良いことが舞い込んで来るというお考えからいつも笑顔を大切にされていると語られていました。

私達にはできない 尾畠春夫

ユーチューブを聞けば聞くほど、私たちにまねのできないものがたくさんある気がします。

  • 78歳と思えない体力に驚く
  • 被災地でスコップで砂泥を
  • 66歳で日本縦断3300キロ!
  • 孫に言われて65歳で禁煙!
  • 2011年3月11日~断酒する
  • 65歳でボランテイアに想い
  • 13年間健康保険証を未使用
  • 携帯も持たず公衆電話使用
  • ユーモアと元気で頭下げる
  • 年金の6万円ボランテイア
  • 被災地では車中ゴザで寝泊

尾畠さんの活動はボランティアで全て無償で行うというのが尾畠さんのポリシーよしきくんのお祖父さんから家に上がってお風呂に入るように勧められた時もお礼は一切受け取らないという一貫した態度で対応。心、まごころが尾畠さんにとって1番のお返しなんだそうです。

尾畠春夫さんの言葉

かけた情けは水に流せ、受けた恩は石に刻め

被災地での活動の中で、笑顔と行動で人を勇気づける。

  • ヘルメットに”絆”の文字が
  • 明日も朝が来るから

2年前に見かけた近くのボランテイア

公園の草木の手入れは年2回!

行政が管理している公園や遊歩道は年2回、刈り取りなどできれいになります。

しかし、合間の落ち葉などは放置され、遊歩道・公園近辺は醜くなります。

誰か人が作業しているなと気づいていました。

通り過ごして声を掛けることもありません。

犬の散歩のときにはじめて声を掛けました。

ボランテイアの人でした!!

近くの凄いボランテイア

2年前ニュータウンの遊歩道の落ち葉を集める人がいました。

 

少し腰が曲がった年配の男性に声を掛けました。

 

ご苦労さんです。”市から雇われてるのですか”と声を掛けると、”いいや!” 公園や遊歩道の落ち葉がきれいになればと思って!

 

2回目声を掛けました。アルバイトですか、いくらかもらっているのですかと失礼なことを聞きました。

 

”一銭ももらっていません、お金をもらったら責任が伴います”と返ってきました。 毎日、犬の散歩で会います。お金に替えられない何かがあると感じましたが・・・・

 

三回目、何歳から始めているのですかと聞くと、60歳の定年になってから、今、83歳 え~何年続けている、計算すると23年!

 

奥さんのことは聞いていません、長男夫婦宅で世話になっていると返事がありました。いつも帰りは、公園~公園のベンチで休憩をしながら家に帰っていきます。 足が痛いのでな!

 

会えば ”お疲れさん・ご苦労さん” と声を掛けています。いつも頭を下げ”ありがとう”と返ってきます。

 

毎日、休日以外は見ない日がありません。小柄なおじいちゃんです。今年の夏の暑い日もコツコツ落ち葉をかき集めてきれいにしています。

 

集めた落ち葉はビニール袋に入れて、まとめて置いとくと市の巡回で処理してくれるそうです。

 

最初の頃は、置いとくと役所の巡回で困ると言われたこともあった聞きました。 ~ボランテイアも大変~