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瀬戸大橋開通30周年記念式典

瀬戸大橋開通30周年記念式典

四国と本州は瀬戸内海に阻まれ船で航行するしかなかった。四国から関西へ集団就職や出稼ぎを船を使いました。

高松港と宇野港を結ぶ宇高連絡船紫雲丸が、戦後定期運航していました。狭い瀬戸内海の航行は事故も多く昭和30年の沈没事故で修学旅行生小学生など168名を亡くしました。

橋の開通は四国の人の悲願でもありました。

高度成長期の中、ルートの調整が難航し3本の橋を架けることになり開通を急ぎました。

瀬戸大橋は自動車道と鉄道の併用橋で四国と本州の動脈路線として位置付けられました。着工から9年の歳月をかけて世界一の併用橋が30年前完成しました。日本の橋梁の技術の粋を結集して完成しました。

高度成長期に起こったオイルショックによって、同時期に着工予定のしまなみ海道(広島尾道~愛媛今治ルート)は着工が延期されました。

明石海峡大橋は20年前に開通、しまなみ海道の全線開通は2006年になりました。鳴門海峡大橋は瀬戸大橋と同様の上下併用橋になって早く完成しました。現在は道路のみの使用になっています。

現在は岡山~高松間の特急マリンライナーが走っています。鉄道線は新幹線の計画もあり線路が2本余っています。新幹線が走る夢が実現できたら本当の完成です。

瀬戸大橋の画像

瀬戸大橋30周年画像から掲載しました。人口減少や産業の衰退する四国が本州とともに発展する動脈として活躍することを願っています。

しまなみ海道の画像

オイルショックで着工が延期となり島と島の繋ぎを順次開通させ2006年ようやく全線開通にこぎつけました。道路は自転車道路も確保され、サイクルで渡る人もあります。外国人などは途中の島を巡りながらサイクルロードを使っています。

明石海峡大橋の画像 世界一のつり橋

開通前に阪神・淡路大震災が起こり、橋の完成を危惧しましたが2年後に開通しました。自身によって大橋の距離が1m伸びたと表現されています。直下の巨大地震にも耐えた世界一のつり橋は日本の技術の結集です。日本は今、橋梁技術をもって東南アジアの橋の建設に寄与しています。

鳴門海峡大橋(うづしお)

鳴門海峡は太平洋と瀬戸内海をつなぐ海峡で、狭くなった場所を速い流れの潮流によってぶつかり「うずしお」となって観光の名所にもなっています。渦潮観光船で多くの人が見学します。鳴戸大橋ができた頃は橋の上に車を止めて見物する人が絶えづ、危険なため今は車の停車は禁じられています。