· 

新型コロナウイルス 疫病の歴史と発見

人類が受けてきた災害飢饉の一つ疫病

聖武天皇(45代天皇724年~749年)天平時代は大地震、戦乱があり不安定な時代に、疫病である天然痘がはやり社会不安が続いた。聖武天皇は社会不安を取り除くために東大寺大仏の建立をしたとされています。

日本は山・川・海に囲まれ、四季に恵まれた素晴らしい地ですが、世界有数の災害国(地震・火山・台風・豪雨・・)が頻繁に起こり、古代から疫病(はやり病)が発生して飢餓に苦しみました。8世紀の疫病は朝鮮半島との交易でもたらされた「天然痘」であったと伝えられています。 

疫病菌の発見に日本人

天然痘は古くから世界に知れた疫病で世界に蔓延していたといわれています。陸路や航海による人の移動によって感染が拡大したといわれています。15世紀ごろ天然痘の抗体を.持っているスペイン艦船の南米航海によって、インカ帝国などの国家が天然痘に侵され侵略されたといわれています。しかし、疫病の多くは菌が発見されず治癒に苦労したと思われます。産業革命が起こり、顕微鏡・体温計などが開発され近代医学が進歩し疫病菌が発見されました。

明治時代、北里柴三郎は炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者であるコッホ研究所に学び寒天培地やペトリ皿(シャーレ)はコッホ研究所で発明され現在も使い続けられています。

北里柴三郎は日本に帰り、日本の近代医学の父として研究(破傷風・ペスト菌の発見者)教育・実業の功績を残し、日本の疫学の道筋を開きました。(2024年の新千円札の肖像になります)

ノーベル賞 生理学・医学賞の受賞者

前述した北里柴三郎もノーベル賞候補に挙がっていたといわれています。日本には疫学に関係する有能な人が多くいます。新型コロナウイルスの対応にも意見を述べられています。大村先生の「線虫の寄生によっておこる感染症」によってアフリカの多くの人が救われています。

北里柴三郎は日本医師会の初代会長、東京大学・慶応大学医学部の初代代表などを務め、議員として、実業家(世界的企業 テルモの創業者)として、第一次世界大戦で日本に不足した体温計の生産企業を立ち上げた人でもあります。新型コロナウイルスに対しては山中伸弥・大村智・本庶祐氏が取り組みのアドバイスを送り、ノーベル化学賞の島津製作所の田中耕一がPRC検査機の開発に着手市場に提供しています。

世界的なウイルス学者河岡義裕も政府の諮問委員に参加して国民の安心を提供しています。

5月末の収束に向けて日本人が一致して取り組む

5月6日ゴールデンウイーク(シテイホーム)と緊急事態宣言の最終日で5月末までの延長が決まっています。特定の指定地域と感染者の少ない地域との差を埋める作業が始まります。政府と自治体の対応が問われ、国民一人一人が一致して収束に向かう努力が問われています。